決着の決塔 【カットイン】
一体の生体人形がいた。そいつは全てを失った。主も、仲間も、居場所も、何もかも。
されど妙な話だが、壊れずにおめおめと生き延びてしまっていた。
そしてその人形に会いに行った一人の魔法使いがいた。
「なんとも馬鹿らしい姿だね」、魔法使いはそう言った。
人形は沈黙する。否定から会話に入る不心得者に気分を害したってわけじゃないぜ。
そういう礼儀とか気にするのは人類と人外だけって相場は決まってる。
ただ、人形には答えるだけの気力がなかったのさ。
魔法使いはもちろんそれをわかっていた。だからこう続けた。
「なぁなぁ君さ、世界征服に興味ある? 世界をポケットに入れれば失ったものより得られるよ」人形は何も答えない。
「それなら……そうだ。君の地位向上というのはどうかな?」人形は何も答えない。
「興味がないのかな?」人形は何も答えない。
「オーケーオーケー、わかったよ。君は優しいんだね。それとも諦めが悪いのか。なら、やり直す?」
人形はぴくりと動いたわけだ。琴線に触れるものがあったんだろうね。
魔法使いはしめたという感情を隠しもせずに言ったわけだ。
「ならもう一度始めよう。失敗は成功の母であり、故に君は失敗という成功を導く精霊になれるのだ」魔法使いはそう言って、生体人形に魔法を掛けた。
それからだ。機械で出来た人形が生まれ始めたのは。
全ての機械人形の始まりは一人の魔法使いと一体の人形から生まれたんだ。
嘘じゃないぜ?
〔勇者と魔王のジョーク集 【機械人形の始まり】より抜粋〕
―――――――――――――――――――――――――――――――
魔王ジャルドはうっとおしい括りの持ち主である。とかく”お約束”を好み、その通りに行動する。そしてお約束のように人外が支配する世界を目指していると嘯き塔へ挑戦している。しかし、全身が入れ墨まみれの大柄過ぎる体格に反し、その責任感は王に相応しく決着の塔を未来への無責任な負債と看破している。誰もが納得できる決着のために人外の妄執を一心に引き受けている節がある――が、本当に勝ちにも来てもいる。
なぜなら、彼は魔族の王だからだ。
だから、魔王ジャルドは灰原鏡夜に敵対する。本物だと信じる、堕ちた聖女を引き連れて。
勇者薄浅葱は自分が賢いのだと実感したいだけの女である。
彼女は世界の在り方にも正しい社会の姿にもまったく興味がない。
しかし、彼女が己の能力によって成し遂げた功績が、呪いとなり彼女を”勇者”として縛り上げる。
そしていろんな政治的意図やら密約から駆け引きやら民衆へのプロパガンダとして”人類と人外の平和”というまったく血の通ってない願いを塔で叶えるために奮闘する羽目になる。なので彼女はまったく情熱を欠いている。
それでも、彼女は探偵であり、勇者である。
だから、勇者薄浅葱は灰原鏡夜に敵対する。お題目とやらを本気で叶えようとしている親友と、傍観者を気取っているスライムを引き連れて。
有口聖は異常なまでに感情に率直なシスターである。好きな相手はどこまでも好きだし、嫌いな相手はどこまでも嫌いだ。頼み事を断らないという祝福は、その実、彼女の公平さではなく不公正さを示している。個人の情と関係だけて生きている彼女は、最初からそこで完結している。
それでも、彼女は大真面目にシスターをすることが、己を全うすることだと信じている。
だから、シスター有口聖は灰原鏡夜に敵対する。鏡夜へ負い目を感じているただの見習いシスターを引き連れて。
契約の王柊釘真は自身の目的のために〈Q‐z〉に協力している。おそらくもっとも決着なき次の世界を見据えている日月の契国の王だ。
彼の目的は決着を使った後の世界で、決着をつけることである。そして、彼はそんな自身を嫌悪する。そんな自身の思想を、誰よりも唾棄すべきものと認識している。しかし、彼はその上で、自身の考えを貫くつもりだ。誰に対しても、何にも対しても。
だから契約の王柊釘真は灰原鏡夜に敵対する。契国の導きたる彼女を引き連れて。
聖女ミリア・メビウスは聖女になってもなお、聖女に憧れていた。その輝き、その魅力、多くの人のアイドルたる聖女になろうと決意をしている。そのために、彼女は苛烈に、激烈に、凶悪に、凶暴に、望郷教会をのし上がり、聖女の座を射止めた。その過程で、自身よりも祝福を持ち得る、とある少女を蹴落とした。その蹴落とした少女が近頃、自分の人生に再び現れて辟易していた。しかしもはやどうでもよかった。なぜなら彼女の野望は自身も気づかぬうちに変貌していたからだ。彼女の目的は世界に君臨することだ。
だから聖女ミリア・メビウスは灰原鏡夜に敵対する。凶暴で凶悪な、もう一人の自分を引き連れて。
魔術師白百合華澄は”判断”を間違えない。スパイとしての高いスキル。シビアすぎる状況分析。過剰なまでの自負と、冗談のような運命の祝福。災害にも例えられる鉄火を持ち。一年前まで見通せる万能従者を侍らせる。
いいとこどりを浪漫と謳う無敵で無疵なプロフェッショナルレディ。魔王ではない、勇者ではない、英雄ではない、聖女ではない。
白百合華澄は、間違えない。圧倒的な”強者”と呼ぶに相応しい『人間』だ。
それこそ―――――”弱点がない”ほどに。
だから魔術師白百合華澄は灰原鏡夜に敵対する。そうであった過去を愛でる機械人形を引き連れず。
不語桃音はいつも五月蠅い。言葉は絶無。意思さえ不明。真の沈黙者。
しかし、それでも彼女は五月蠅い。動きが喧しい、やることなすことぶっ飛んでいて、その挙動は誰もが注目する。
不語桃音は―――――――を目的としている。
〈格好良いもの〉に弱いからカッコいい好みの鏡夜に惚れたとか語られることを好むから自分のことをたくさん語ってくれる鏡夜が好きだとか、理由を”音”にすることはできるけれど、こと不語桃音に限っては不正確だ。
結局彼女の本質は語らざる者であり、語られる者、アンタッチャブルだ。呪いによって伝達不可能と確約された彼女は、解釈を完全に拒絶する。
だから不語桃音は灰原鏡夜に敵対する。たった一人の、代弁する者すら置き去りに、自分だけを引き連れて。
さぁ、清算をはじめよう。
「―――撃ってください」
鏡夜は半笑いで華澄に言った。華澄は冷たい無表情で鏡夜を見下ろしている。鏡夜は、はは、と演技めいて――実際演技なのだが――日常にいるような気軽さで今度は桃音に言った。
「踏みつぶしてください」
桃音の足は鏡夜の胸を踏みつけている。その力は不動だ。だが、がっちりと押し付けられた靴裏は彼を押さえつけている。
(―――よし、まだ詰んでない)
鏡夜は自分の想像を絶する出来事に逆に冷静になっていた。彼女たちは手段を選んでいる。不語桃音も白百合華澄も、鏡夜を無傷で捕えようとしている。ならまだできることがある。隙があるはずだ。
鏡夜はかぐやへ言った。
「かぐやさん、申し訳ないのですが――逃走経路を用意していただけますか?」
桃音にビームを発射しようとしていたかぐやは驚いた顔で鏡夜を見返した。
鏡夜は自信に溢れた相貌でかぐやの目を見返す。こういう時こそ意地と虚勢を張るべきなのだ。みっともなく命乞いをするのはアウトである。鏡夜は不語桃音と白百合華澄を知っている。命乞いをして通ずる相手では決してない。
なにより、かぐやが戦うのは悪手だ。まず鏡夜を確保されてる時点で八方塞がりだ。現状はかぐやにとって人質作戦と同意義だ。主を捕らえられたら駆け引きも何もない。生体とはいえ、人形は人形だ。そんな我が君なんてどうでもいいね! なに!? 隙を見せたな奪取! とか、機微を必要とする駆け引きなど彼女には不可能である。我が君、我がご主人、我が存在意義とかどうでもいいんだからね! とか論理からして破綻している。
かぐやは焦った表情をしながらもこくりと頷くと鏡夜たちから距離を取った。そして鏡夜は、どうだ、と言わんばかりに舌を出す。
……目は二人とも揺れているが隙は出来ず、だ。まったくもって素晴らしい。敵でなく味方であればもっと良かった。
鏡夜はそのままニヤケながら自分の胸を踏んでいる桃音の足を掴んだ。
「………」→弱点:【喋れない】【恰好良いもの】【状態異常:睡眠】
(よし、賭けの一つには勝った。毒とかだったら意味ねぇしな)
桃音は数秒、意識を失う。だが、そもそも三人、正確には二人と一体で鏡夜を殺せる位置取りになったのは、鏡夜の状態異常付与能力への警戒故だろう。同時に状態異常にできるのは二人だけだし、さらに生物だけだ。桃音を一瞬無力化したとはいえ、もっとも致命的な心臓に狙撃銃を突き付けているバレッタに鏡夜からできる起死回生の策は、ともかくとして。
――チート能力のごり押しはできる。
鏡夜は思いっきり額に突きつけられている銃口に頭突きをした。鉄の塊への頭突きだが額は無傷である。なぜなら額にぴったりくっつくように《鏡現》を作り出したからだ。
バレッタが心臓へ狙撃銃を撃つ。
「バレッ――」
華澄が焦った声を出す。鏡夜は言った。
「大丈夫ですよ」
鏡夜は一瞬で立ち上がり、両手で額と胸を指出す。その両方に《鏡現》の板が張り付けられていた。
桃音が睡眠から回復し、強く地面を踏みしめて鏡夜へ視線を向ける。華澄は一息と同時に懐から何かを取り出そうとする、バレッタは微笑を崩すことなく狙撃銃を無防備な鏡夜の首元へ向ける。
そして、少し離れた位置にいたかぐやは全身を発光させた。スタングレネードじみた発光に鏡夜は目を焼かれるが、その激痛も視界も一瞬で回復する。
眼前に華澄がいた。
(うっぷす……!)
即座にナイフを取り出して首に差し出す桃音。鏡夜はそのナイフを――逆に自分の首に押し込んだ。
華澄の顔は凍り付いたような無表情のままだ。機械のように正確な呼吸と視線。すげぇな。人の首をはんば掻っ切ってここまで素面を保てるものなのか。
鏡夜は右手を華澄の顔に向けて突き出した。もちろん華澄はナイフから手を放し距離を取る。やはり。やはりこの手の状態異常を恐れているか。
だが距離を取ったな。
鏡夜だけなら敗北していたが――もう一体いるのだ。
鏡夜はくるりと反転すると猛ダッシュする。首からナイフを抜く。絶望的な激痛と首から噴き出る血液すら無視して走る。
かぐやと並んで走る鏡夜。脱出できたのはほとんど一発芸の領域である。二回目は無理だ。どうにか逃げ切る必要がある。遮二無二、ただ逃走する。第三階層から第二階層へ降りる階段へ滑り込むように入り込んだ。
かぐやが後方に向けてごん太ビームを放つ。効果はあるのだろうか。確認するのは悪手だ。銃弾の音も桃音の足音も聞こえた時点で不利と心得るべきである。
二体三は無理だ。勝負すら不成立だ。負けて終わりだ。やってられるか。絶対逃げる。第三階層から脱出し、第二階層【密林】をひたすら走る。以前、久竜晴水と遭遇した沼地へ、遮二無二に走り――そしてどうにか辿り着いた。
「よ、ごふっ、し!」
喉元から湧き出た血を吐き出しつつも、鏡夜はかぐやの手を取ってその、沼へ飛び込んだ。
沼の表面は鏡のように姿を映す。そしてそれが鏡ならば、鏡夜は鏡の世界にへ入ることができるのだ。
鏡夜はぜぇぜぇと荒い息を吐く。どうにか首の傷も自動回復で治り、深呼吸を繰り返す。
傷はどうにか鏡の世界へ入る前に完治したようだ。
鏡夜はパチンと指を鳴らすと、鏡の世界は変化する。闇の中に広い畳の部屋ができる。鏡夜はそこに今度こそごろりと寝転んだ。
「あー………」
かぐやは横になっている鏡夜の傍に座った。
「お疲れ様、我が君、これで一安心ね」
「そうでしょうか」
「え?」
鏡夜はぼけーとした顔で作り出した木板の天井を見上げながら言った。
「誰にも言ってませんでしたが、この塔にある鏡の出入り口は、この沼地だけです。おそらく、決着の塔と外は、空間的に断絶しているんでしょうね。私達はここからしか外に出られません。つまり、ダンジョンの外に出るためには、一度沼から出て、決着の塔を下に降りて、出入口を生身で通る必要があるわけです」
「それ、かなりやばくない?」
「やばいですね。残念ながら」
鏡夜は暗澹たる面持ちで溜め息を吐いた。
「ただまぁ、……少し休んでから考えます。おやすみなさい」
「……おやすみなさい、我が君、お疲れ様」
鏡夜はなにもかもが面倒くさくなったので、畳の上で一旦仮眠をとることにした。
〈1000年1月7日 午後〉
鏡夜がふと目覚めた時、かぐやの造形美に満ちた顔が眼前にあった。
「……?」
疑問に思いつつも後頭部に柔らかさを感じる。どうも、膝枕をされていたようだ。
「これは、失礼。枕や布団を用意しておけばよかったですね」
「え……じゃなくて、否! 私はすっごくこれでいいと思うわ!」
「ならいいのですが」
鏡夜は身体を持ち上げる。空腹を感じる。鏡夜はもう一度大きなため息を吐きながら指を鳴らして、鏡の外の世界を覗き込む。
見える範囲では密林のみが視界に広がる。鏡夜はそこに手を突っ込んだ。外から見れば、沼から手袋をつけた手がにょきっと生え出しているのだろう。安全確認はこれでいいかな。
「ちょっと待っててください」
「えっ、ちょ、我が君――」
鏡夜はかぐやを鏡の世界に置いて沼地から出ると――離れたところに魔王と黒修道服の女がいた。
「あ、失礼しまし――」
「逃がすか」
沼が凍り付いた。淀んで濁った氷だ。空気をふんだんに含んだ沼のまま凍ったせいだろう。
鏡夜は沼と鏡と捉え、その表面に立っていたせいか。凍った沼に両足で自然に立っていた。鏡の世界への出入り口が封鎖された。
鏡夜は絶望的な面持ちで周囲を見渡す。いるのは魔王ジャルドと黒修道女――アリアだったか、がいるだけだ。
鏡夜は魔王に言った。
「わ、私相手には勝てないんじゃありませんでしたっけ?」
「ああ、俺一人じゃな。今は二人だ。そしてお前は一人だ」
「お二人でも足りませんよ! もっと仲間を集めてきましょう!」
「馬鹿か、魔王がなんで弱者の論理で動かなきゃいけねぇんだ」
「四天王とか……」
「あのアホどもはもう知らん。ちっ、嫌なことを思い出した。オレを不愉快にしたな、殺す」
(こわっ。たっけてかぐやさん!)
鏡夜は凍り付いた沼を足でガンガンと叩くかどうしようもなかった。
(畜生! どういうことだ!? なんで魔王がいて、しかも臨戦態勢なんだ!?)
「どうでしょう? 私を見逃すというのは!」
「お前を捕まえた際に得られる褒賞を考えりゃ考慮にも値しねぇな」
「褒賞、ですか? なんですかそれ」
「なんだ、知らねぇのか。“塔京をごっちゃごちゃにひっくり返した犯人は、灰原鏡夜である。そうでなくとも重要参考人である。その当人は捕獲から逃れて逃走中である。捕まえた者に挑戦に利する褒賞を与える!”っつー布告があったんだよ」
「ふはは、なんですそれ? ろくでもないですね」
「俺もそー思うぜ。だが、ほら、世界中に指名手配されたお前を逃すのも? あんまよくねぇかなぁって、ぎゃははは」
「世界中とか、やめてくださいよ、ははは」
(笑いごとじゃねぇ)
「それに、お前、今弱ってるだろ? ボーナスゲームじゃねぇか」
鏡夜は一瞬にして真顔になった。魔王の不遜さに反して、アリアは所在なさげに成り行きを見守っている。
「―――舐められてますね」
なるほど、確かに舐められると危機的な状況に陥る。あの冒険者たちの金言はやはり正しかった。舐められてるから、今魔王と堕ちた聖女もどきと相対しているのか。それに誰がやったか不明だが世界中への指名手配も舐められている。
ああ、そもそもだ。仲間に思いっきり捕縛されかけられたのも、仲間に舐められたからだろう。
まったくもって、ただ意地と虚勢を張るだけで足りなかったということか。
鏡夜は腹を括った。今回だけは、やりすぎなくらい意地と虚勢で突っ切る。はっきりと胸を張って言った。
「十分です」
「あ?」
「十分で片を吐けます」
「てめぇ、舐めんなよ」
「先に舐めたのは貴方ですよ、魔王陛下殿」
【EXTRA STAGE】Unpleasant demon king『jald』&Depraved saint『Alia』
(魔王の能力は触れた相手に呪詛を与えること……しかしすでに限界値まで呪われているこの身体に効くことはねぇ)
なので魔王は膂力以外、警戒は不必要だ。その膂力が人外の王に相応しく暴威であるのだが。
もっとも注意するべきは真っ黒で赤い稲妻の走るシスター服を着た少女、アリアだ。
聖女………真実そうであるかは知ったことではないが……を名乗るというからには、祝福があるのだろう。
祝福持ちと戦うのは初めてだ。しかも恐らくそのハイエンドである聖女をかたる者。
魔王も本来は頂点なのだろうが、常識外れに呪われている人間、つまりは灰原鏡夜がいるので一歩劣ることになる。
鏡夜はスタスタと魔王とアリアに歩きで近づきながら、頭をフル回転させる。
先ほどの凍らせる力が彼女の能力なのだろうか。なるほど、鏡夜へのメタとして素晴らしい。一気に沼を凍らされて逃げ場を封じられた。
だが、それだけならばチートのごり押しで――。
鏡夜は突然、魔王の後ろから吹き付けてきた炎を避けた。
「あっつ!? やっぱり! 凍らすだけじゃありませんでしたね! 服とか氷属性っぽささが不足してますし!」
「これは堕ちた聖女をイメージして俺が着せた」
「わぁ、魔王っぽい!」
そんな軽口を叩きながら、鏡夜は魔王の拳を避ける。膂力は強い、だが速さや技量は桃音以下。けれど魔王の攻撃を援助するように吹き付ける、炎と氷結と水流と土石とのシナジーのおかげでなかなかに難易度が高い。鏡夜はそれに目を回しながら対応する。
(あっつッ!?)
(さっむっ!!)
(つめたッ!?)
(いった!?)
エレメント。属性使いか。王道だ。純粋に手札が多く強力。さらに――。
「じびッ! か、雷とはまた豪勢ななななな」
雷まで操られると対応の幅が広すぎる。いや、もしもアリアだけなら《鏡現》を二m四方に、巨大な盾を作り出して平押しができるが、魔王がいると回り込まれて横殴りされてしまう。
前衛後衛がしっかり別れているとこうも強敵なのか。鏡夜は最小単位のパーティの強さを痛感する。
どうにかこうにか致命傷を避けて《鏡現》で防ぎつつ、魔王ジャルドとアリアの猛攻をいなしていく。
そして鏡夜は、容赦なくその紅瞳で魔王とアリアの弱点を見通した。
「オラオラどうしたァ?」←:弱点:【現実を後回しにする】【非生物】【限界まで呪われた生物】
「……」←:弱点:【喋らない】【うっかり】
(微妙なラインナップだな)
まさかこの微妙なラインナップから弱点へ漬け込む方法を考える時が来るとは。【現実を後回しにする】はただの性格だろいい加減にしろ。【非生物】は生き物に呪詛を与えるなら当然だ。【限界まで呪われた生き物】って、つまり自分だろ。
……ということは普通に戦うだけで勝てるな。問題はやはりアリアだ。【喋らない】……は【喋れない】とは違うが、現実で起きていることは同じだ。祝福の傾向である。【うっかり】もまぁただの性格なのだが、これは利用できそうな弱点だ。ここを立脚点にして作戦を立てよう。
さて、状態異常を起こす手袋のことは把握されている。触って状態異常を起こし、適当に魔王かアリアを気絶させれば勝てるがそれがまた難しい。
鏡夜は凍り付いた沼を片手で押さえながら考える。
(この際だ。――相手の力を利用する)
【うっかり】であれば通じるはずだ。鏡夜は両手に《鏡現》のナイフを三本ずつ作り出し、それを全てアリアへ投げる。アリアはそれをおっかなびっくりしながら避けた。
鏡夜の《鏡現》の性質は理解しているらしい。だが、それでいい。もともと当てようなどしていない。
そして――炎が吹きつけてきた時、鏡夜は極限まで姿勢を低くして、それを避けた。ごろごろと転がるようにアリアの炎を避ける。
もしもこれがかつて魔王と演舞をした時のような広場だったら、老龍のように真正面から戦うしかなかっただろう。
しかし、ここは沼の上だ。凍った沼の上だ。だからやりようはある。
魔王がアリアばかりに注力している鏡夜の顎を砕こうと拳を振るう。それを、下から飛び出したビームが魔王ごと蒸発させた。
「ひゅー」
やったことは単純だ。氷を炎で溶かして、水溜まりを作る。それに足を突っ込んで、鏡の世界との扉を作り、そこからかぐやに攻撃させる。
無言のチームプレイだ。
鏡夜は水たまりに手を突っ込んで、かぐやを引きあげる。
かぐやが地面に着地したと同時、アリアが振るった氷結の力を《鏡現》で防ぐ。先ほども考えた通り、巨大な盾を用意すれば属性をただ叩きつけるだけの祝福は防げる。
そして、その巨大な《鏡現》の盾を、後ろから鏡夜は思いっきり蹴りつけた。砕け散った《鏡現》の破片は、全てアリアの方に飛び散る。
そして、破片が数秒後、全てなくなったその視線の先に、アリアはいなかった。《鏡現》は壊れても数秒だけその姿を残す。
つまり思いっきり割って飛ばせば破片は、その先にいる者を切り裂いてしまうのだ。
咄嗟に閃きで行った攻撃だった。そのまま安直に《爆砕鏡》とでも名付けるか。
【EXTRA STAGE】Unpleasant demon king『jald』&Depraved saint『Alia』
鏡夜は敵の影がいなくなったことを確認して溜め息を吐いた。
「ふー。まったくもって恐ろしい!」
「でも我が君ほどじゃないわね!」
「私は恐ろしくなんてありませんよっと。しかしまずいですね。致命傷だと、確か塔の外に放り出されるんでしたっけ? そうなると、私がここから出たことが丸バレです」
連鎖的に鏡間移動では決着の塔外へ脱出不可能なことが推理できてしまう。
「時間も私の敵に回りましたか。急ぎますよ、かぐやさん。早く塔の外へ出ませんと」
「えたり!」
そして鏡夜とかぐやは猛ダッシュで第二階層から第一階層へと降りて行った。
第一階層【荒野】を走り抜け、さらに第ゼロフロアも通り抜けて、ステージホールへ飛び出す。
そしてステージ上に着地する。
凄まじい数の銃火器が鏡夜とかぐやへ向けられていた。持っているのは職員たち。二階に立っていたのは染矢令美だ。本来入口付近に倒れているはずの魔王とアリアの姿は確認できず。すぐに回収したらしい。
鏡夜と令美は互いに苦笑する。彼はとぼけたように言う。
「勘弁してください」
「すいません、灰原さん、これも仕事なので。申し訳ありません。ただ、一つだけ。言わせていただきます。貴方を指名手配したのは柊釘真陛下です」
「……ありがとうございます」
「はい。では、さようなら」
銃弾の雨が降り注ぐ。流石にここでかぐやに暴れさせるのはNGだろう。蒸発した人体はリカバリー不可だ。どんな生物だろうとそれは同じだ。
「ついてきてください」
鏡夜は五方向に持ち手付きの鏡盾を作り出すと、そのままかぐやを連れて銃弾の中を突っ切った。足を動かし続ける。
そのままステージホールを脱出する。そして多目的トイレへ……行かず、ステップターンする。柊王に指名手配されているということは、確実にドームの中は対策を取られているはずだ。
出入り可能な鏡は取り外されている可能性が高い。ならば。
鏡夜は猛ダッシュで階段を上がり――浴場に飛び込んだ。
お湯が張られている。
「よっしゃぁ!」
鏡夜は虚勢を張るのも忘れて、叫びながら湯船に映る鏡を通じて、鏡の世界に飛び込んだ。
今度入った鏡の世界は、窓が減少していた。おそらくドーム内含め、塔京で鏡を処分するなりなんなりで数は減らしたのだろう。
が、鏡夜の能力の本質は、鏡となりえるもの全てに適用される。美しく姿を映す磨かれた大理石とか、水面が鏡の役目を果たせばそれも使える。さらに、射程距離のは無制限。
実質的に、世界中の鏡となりえるものを移動できる。鏡から鏡へ跳ねる魔人。それが灰原鏡夜である。
鏡夜はコンビニエンスストアの鏡となりえる部分――ドリンク類を冷蔵しているコーナーの半透明な扉や食品コーナーの棚にある金属部分などから手を出して、食べ物と、ついでに夕刊をちょろまかした。
もちろん、懐からアルガグラムコーヒーを買う用にとってあった幾ばくかの金銭をメモ付きで、コンビニのカウンターに放り出す。
こういう余裕を失って、ただただ盗むだけの小人と化してしまえば、より舐められてより苦難に陥ってしまうと彼は考えていた。
鏡夜は指を鳴らして、今度は鏡の世界を洋風な談話室に変える。暖炉がパチパチと暖かな空気になるように炎を燃やし、柔らかな間接照明が部屋を明るくする。
そして暖炉前の二つのソファの一つに鏡夜は深く座った。
「かぐやさんもどーぞ」
彼の言葉に合わせて、かぐやもおずおずともう一つのソファに座る。
小さなテーブルに乗せられた食べ物をつまみながら、鏡夜は夕刊に目を通す。もちろん第一面に、前面に渡って、さらに写真つきで鏡夜が掲載されていた。
げんなりする。
ふっかふかのソファに身を預けながら読み進める。たしかに魔王の言う通り、塔京をずたずたにした蝶の事件の重要参考人(ほぼ文脈的には犯人扱いだが)として鏡夜が扱われていた。
見れば鏡夜の能力も魔王ジャルドによってきっちりと説明されていた。鏡の能力も、見せている範囲は全て把握されている。
しかもなぜか蝶を操る能力まであるかも?? みたいなことが書かれていた。
(ねぇよ。それはねぇよ)
だが悲しきかな。説明してくれるはずの華澄やバレッタも敵に回っているのだった。
だが……外の世界の鏡の世界へ来れた以上、逃げ隠れるだけなら楽勝なのだ。不語桃音と白百合華澄とバレッタ・パストリシア、ついでに魔王と黒修道女、さらについでに染矢令美率いるドーム職員たちの包囲網を抜けた時点で、すでに鏡夜は安全圏にいる。
世界中の鏡と、艶やかさのある石と金属と宝石を叩き割り、この星の海と水を全て干上がらせてようやく、灰原鏡夜から鏡の世界を剥奪することができる。つまり実質不可能だ。彼の安穏は約束されている。諦めれば。
「たわごとですとも。こちらから願い下げです」
すでに決意は終えている。逃げ隠れるなどごめんだ。だが参っているのも事実だ。老龍は参っているかも? 程度だったが、今度こそ確信的に完全に参っている。
はっきり言うと現状が鏡夜の想像力の許容範囲を明らかに超えている。
老龍ですらギリギリの認識限界だったのに、世界とは。明らかにより重く、より複雑だ。
どこから手を付けていいかまるでわからない。
何がどうなってこうなったか、せめてそれだけでも調べ上げなければ、どうしたらいいかもさっぱりだ。
少なくとも、水がある以上、ドーム内への侵入経路はまだ存在する。浴場を出入口にしてしまった以上、そこも対応されるだろうが、洗い場や水飲み場、水道水は大丈夫だ。
鏡夜たちが出入りできる程度の大きさは念入りに対処されてしまうだろう。でも残った鏡の窓で覗くだけならできる。
インフラを破壊したらウケモチがあろうが首都が地獄と化すだろうからしなかっただけだろうが。そこまで邪悪ではなかったと安心すべきところか? まさか。邪悪でなくとも邪魔である。なにせ国家権力とか社会的圧力とかである。邪魔くさくてしょうがない。障害ならはっきりしてる分対処しやすいだろうが、ただの邪魔は対処に困る。
鏡夜は頭を悩ませながらも、鏡の世界を寝室に作り変えて就寝した。
〈1000年1月8日 午前〉
太陽も空も作らなければ闇である鏡の世界ゆえに時間感覚は曖昧となる。が、まぁだいたい朝だろうという時間に鏡夜は起床した。
今度は豪勢なベットを鏡の世界に作り出したため、気持ちの良い目覚めだった。
そして起こしてくれた生体人形、かぐやはほわほわと喜んでいた。
「今度こそ起こせたわね我が君! どう? 至福の起床でしょ?」
「そう……ですね……」
どうやらかぐやはベッドに寝ている鏡夜の背中に手を回し、上半身を抱き起したらしい。
鏡夜は絶望に寝起きが悪い。しかしかぐやの補佐により、恐るべきほどスムーズに意識が覚醒した。非常に穏やかな目覚めだった。逆に駄目になりそう。
鏡夜はベッドから立ち上がり背を伸ばす。シャワーを作って、それを浴びる。水とか食べ物とか作れるのか? と疑問を持って鏡夜はシャワーから出て、手の中にコップを作る。そして、そのコップの中に入った水をごくっと飲んだ。
確かに水の感触がして、味がして、喉から胃に落ちる感覚がしたが、彼はすぐにわかった。これは偽物だ。
ただそう感じるだけの偽物だ。これを飲んで、また作り出した食べ物を食べて過ごせば、偽りの感覚で生活をしながら餓死すると直感する。
そして連鎖的に気づく。ここは結局のところ幻の世界だ。魔法の鏡は真実を映すものだ。偽りは真実にならない。鏡夜がどれだけ鏡の世界を変化させたとしても、それは幻想のままだ。空腹は変わらず、傷は消えず、痛みも治らず。例えここで傷つけてもその痛みは幻痛なのだ。不変に刻まれるのは時間だけ。
だがこれがわかるのはこの世界が鏡夜の呪詛によるものだからだ。で、ある以上、ここに人間を閉じ込めれば……なんとも恐ろしい力だ。
結局、どんなに恐ろしかろうと社会から弾かれればもうお手上げだと現在進行形で痛感しているのだけれど。
いくら探っても鏡夜の状態は異常ばかりを示す。だが内省ばかりしても事態は悪化するばかりだ。彼は困難へ立ち向かうために今度は現実を覗く鏡の窓へ関心を向ける。
昨日よりもさらに“窓”の数は少なくなっていた。小さな鏡はぽつぽつあるが、鏡夜の全身が通り抜けられる大きさのものは皆無だった。
だが、なんという幸運だろうか。今日は雨が降っていた。ドームの外、建物の外すべてが水たまりという鏡のようだものだ。雨という鏡のようなものだ。
外の世界が建物の外限定だが、はっきりと見えていた。
しかし、改めて見ると幻想的な光景だ。小さな雨粒が闇の中に振り、その雨粒には外の景色が映っている。地面には水たまりがたくさん広がり、そこを覗けば、下から景色を見ることができた。
さて。
「どうにかして、柊王陛下に会いに行きたいですね」
まず仲間を一人一人闇討ちするとか、世界の動向を知るとか以前に、確かめるべきは柊釘真の意図だ。現在の状況は彼と〈Q‐z〉の首領、キー・エクスクルの意向によるものだろう。キー・エクスクルがどこにいるかは不明だが、釘真がどこにいるかは知っている。
決着の塔攻略支援ドーム地下だ。どうにかしてそこまで行く必要がある。
《鏡現》と無闇に強靭になった鏡夜の五体を駆使したごり押しで突入することは可能か不可能かで言えば可能だ。ただし、挑戦者たちや鏡夜の仲間が立ちふさがらなければという但し書きがつくが。
そうなると……。
(おいおいおいおいおい)
自分の頭を過ったアイデアに、彼は正気を疑った。つまり、魔王をすでに? 無力化したのだから? その治療が完了する前に? 勇者も聖女も打ち倒して? 華澄も桃音もバレッタも打倒して? ドームに突入すると。
(馬鹿かな?)
流石にそれは無理筋だろう。他の方法は? と頭を悩ます。しばらく考えたが、彼は別の方向に行動の舵を切る。
いつもの通り、その場の機会を捉えてどうにかする方向だ。悪く言えば行き当たりばったり。良く言えば臨機応変である。
鏡夜はなにか飛び込んでいけるチャンスがどこにあるかと鏡の世界から探す。……見える範囲にいるのは……。
「薄浅葱さんですか」
鏡夜は出入口にできる窓……水たまりから外に出る。どうやら決着の塔攻略支援ドーム外ではあるが、その敷地内ではあるようだ。
雨にうたれつつも、ドームの窓から中を覗けば、そこは教会だった。
何かを修道女である有口聖と話しているようだ。薄浅葱はスカーレット・ソアとスライムである烏羽を連れている。……人数が多いし位置関係も悪い。不意打ち闇討ちをするにしても状況が悪い。不利な状況から襲い掛かるなどごめんだ。
鏡夜は気配を消して、薄浅葱が教会から去るのを見送った。
鏡夜は手の中に《鏡現》の器を作り出すと、下の水溜まりから雨水を掬いあげた。そしてその水を、窓から教会の中に流し込んだ。
そして、地面の水たまりから、教会内部にできた水たまりへ移動して出現する。もちろん今度はかぐやを連れてた。
突然泥水に近い雨水を窓から床へ流し込まれ、そして鏡夜たちが現れた。その驚愕の出来事に、有口聖は大げさなリアクションをとった。
「わーお、ホラー映画張りの登場だなァ! 馬の骨ェ!」
「灰原鏡夜ですよ、有口さん。ははは」
「ははははッ!」
「お願いがあるのですが……」
有口は心底馬鹿にしたような口調だった。
「よく考えろよ。世界は簡単じゃないって思い知ったんじゃないのか?」
「言うだけタダですよ」
「私にとってはタダより―――高いぜ、それは!」
ここまで言うからには、おそらくなんらかの対策をしているのだろう。別に引いてもいいのだ。彼女は放置しても大丈夫な要素だ。だが、引いたら舐められる。舐められるのはもうごめんだ。それに有口聖はこのドームの職員でもある。予め排除しておけば、楽に作戦を進めることができるだろう。例えそれが毒を飲むような行為であってもだ。
鏡夜は全てを覚悟したとは言い難いが、何が起こっても自己責任だと覚悟する程度には気合を入れて、その言葉を口に出した。
「私を匿ってくださいませんか?」
「言ったな!!!」
【EXTRA STAGE】Upper sister『Hijiri』
戦 闘 開 始
有口聖は断〈ら〉ない。それが彼女の祝福の形だからだ。彼女は断らないことで、祝福を行い、癒しを施す力を得ている。鏡夜の紅瞳も、このハイテンションなシスターの弱点は唯一それのみだと確信している。
国際的に重大なイベントである、決着の塔に勤務でいる程度には彼女は優秀だ。そして――そんな優秀な彼女は彼女なりに備えをしていた。
有口は、それはもう喜んで引き受けた。
「もちろんだとも―――承諾する。ただし条件はつけるぜ馬の骨野郎! 死ぬ気で耐えろ! トラップチャーチだ!」
鏡夜は攻撃されたことは理解できたが、どのように攻撃されたか全て認識することはできなかった。多彩すぎる。ブービートラップはもちろん火炎放射に矢に銃に爆弾に弾丸のごとき生体兵器らしき蜂なり、なんらかのガスなり……量が多い。光と轟音で感覚器も乱される。
得意げな有口の声がする。
「だいたい私のよーな、姐様に劣るとはいえ美少女が断らないなんてどーにもこーにも危険だろう?! 下劣な男性の欲望ってやつを刺激しちまうし、それ以外にも金をくれだとか犯罪の片棒を担げとか。だが私はこの祝福を今の今まで持っている! その理由! そいつは至極単純さ――条件つけて確殺できる場所に引きこもっているからだよ!」
かぐやが容赦なく罠をビームで焼き切るが罠の量が多かった。
「私が桃姐様のことが大好きなのは、姐様が私になんの要求もしないのが理由だ。そんな人間関係に臆病な卑しい好意でこそあるがそれが私だ。そんな私にぶち殺されろ!」
鏡夜は冷静だった。かぐやごと《鏡現》で全方向に囲う防御形態で守った。《封鎖鏡》である。猛攻と轟音がしばらくして……静寂。
鏡夜は《封鎖鏡》を解除する。色のついた空気が漂っていた。かぐやはうげぇという表情を浮かべた。
有口はふん、と鼻を鳴らす。
「環境適応能力なんて言われてもピンとこなかったが、毒も効かねぇんだな」
「これ毒ガスなんですか??」
容赦なさすぎるだろ。ていうか毒も無効化するんだ……人間やめてるな本当に、と我ながら彼は思う。
「でー、これで打ち止めですか?」
「けっ。私は断らない。良いぜこのクソ野郎。裏切り男め。私が庇ってやるよ」
「裏切られたのはむしろ私――」
「ああ?」
(こわっ)
鏡夜は言葉を止めて肩を竦めた。わざわざ言い争いを誘発したところで無意味だ。
すると、檀上の裏にある扉から、あのキリン耳の少女が現れた。
「えっ」
「あ、先ほどぶりです。キリン耳のお姉さん」
キリン耳の少女は目を見開いて驚いていた。そして少ししてから、ぽつりと言った。
「………お姉さんって私の方が年下だと思うんだけど」
「リンちゃん、私、こいつのこと庇うことになったから」
キリン耳の少女――リンと呼ばれた少女は首を傾げて言った。
「本当にいいんですか?」
「んー? 良いも悪いもありゃしないけど、反対なら別にいいぜ! むしろ反対を歓迎しよう! リンちゃんが告発してくれれば断る手間が省ける! 死活問題さ!」
リンは眉を顰めて鏡夜をちらりと見て、呟いた。
「……やめておきます。負い目もあるし」
有口は修道服と髪を逆立たさせて叫んだ。
「この女の敵が!!」
「……!? 私はッ、ホントにッ! なんもッしてないッ!」
恐らくだが、リンが言う負い目とは不語桃音と灰原鏡夜に不和を生じさせたことを言っているのだろう。鏡夜は唐突に表れた彼女は利用されただけと華澄に教えられているから別に気にしていないのだが。というか現状それどころじゃねぇし。
誓って言うが粉をかける云々とか無理だ。格好つけてるだけだ。
というかできねぇんだよ物理的に。服が脱げねぇんだよ。宇宙一の紳士だよ現実として。
鏡夜は教会の入り口の向こう側から、戻ってくる足音を耳にする。
(まずっ)
鏡夜はかぐやにちょいちょいと指を動かして指示をすると、自分は天井に思いっきりジャンプして、しがみついた。
かぐやが光を操る能力で光学迷彩を発揮し隠れたのと同時、教会の扉が開く。
薄浅葱……勇者一行だった。どうやら有口聖の確殺トラップの大騒ぎを聞きつけて戻ってきたようだ。
天井に張り付いたまま、様子をうかがう鏡夜。
(あれ、これチャンスじゃね?)
外にいた時は奇襲もできなかったが、天井にいれば一気に無力化も可能かもしれない。しっかりと薄浅葱たちを観察する。
薄浅葱は教会の中を見回す。
あちこちが焼け焦げており、銃弾の痕があった。
(やっぱ駄目くさい)
しかしどうやら有口聖は鏡夜の頼みを全うする気があるらしい。彼女は口を開いた。
「ちょっと装置が誤作動したんだよ。気にすんな」
「ふーん」
「……本当か?」
「本当本当」
どうやら断〈ら〉ないは、頼みや命令を断らない、という制約であるらしい。嘘は吐いてもいいようだ。
有口は話を逸らすように話題をふる。
「ところで勇者殿! どうも次の階層はアンタの好みだそうじゃないか!」
「んー? 耳が早いねぇ。そうだよ。謎解きフロアだった」
薄浅葱はぼんやりと反応する。
「かなり楽しいけど、楽しいだけだね。有益じゃない。頭の体操になるだけさ。僕はもっと自慢できるような謎解きをしたいんだけどねぇ」
どうも奥歯に物が挟まったような物言いだった。薄浅葱の口調がそういうものであると言えばそこまでだが。
「どういうモンスターが出るんだ?」
「いや、生体機械は出な、あー、なんだろ、階層守護の生体機械はいたかな? それは出るね。ネズミが十二匹、出題者なんだ」
「へぇ! そいつはうら若き乙女にはきっちぃなァ! 殺鼠剤でも使うか?」
「別にいらないよ。むしろ僕は興味深いと思うね。やっとこさ歴史の流れを感じる生体機械が出て来た」
「歴史?」
薄浅葱は不思議そうに首を傾げた。
「君は契国人なんだろ? アレだよ。子子子子子子子子子子子子(ねこのここねこししのここじし)。小野篁が考え出したらしいから、時代的にも合う試練だねぇ」
(あー、なんだろ、聞いたことあるわ)
天井の鏡は薄浅葱のセリフに耳を傾けている。思い出すに、自分は何でも読めるのだと言う小野篁に、時の天皇が子を十二個並べた文章を提示して、これを読んでみろと要求された。それに小野篁は見事に答えたという伝説だったか。確かアレ、鏡夜がもといた世界の日本だと捏造された伝説だとかなんとか言われていたのだが……思考が逸れている。鏡夜は即座に頭を切り替えて勇者たちをうかがう。
有口は得意げに説明する薄浅葱に、ふーんと無関心でありながらも感心したフリをする。
薄浅葱は興が乗ったのか、さらに第四階層について説明する。
「構造的には【迷路】だったよ。あっちいったりこっちいったりだ。それにだねぇ。まったくもって馬鹿らしい。〈Q‐z〉の妨害があったんだよ。アレのせいで謎解きも打ち止めだ。聖女も苦笑いで引いてたね!」
「おっと、誰か死んだか?」
「縁起でもないな、ミスアリグチ。それに、あの『カットイン』はそういう種別ではなかったよ。まったく嫌らしかった。アレを殺せる者など、よっぽどの冷血だけだな!」
薄浅葱はスカーレットの義憤へしょうがなさそうに応えた。
「でも〈Q‐z〉を置いといても【塔】ってテキトーだよねぇ。大獅子も怪鳥も老龍も、打ち倒したのは鏡夜くんたちだっていうのにさ。こんなテキトーなやり方を許す穴だらけなシステムを作った人と同じ称号とか恥ずかしくて名乗りを躊躇うね」
つまり〈勇者〉と、薄浅葱は皮肉を言う。
「なんだ? ずいぶんと馬のほ……あーと、灰原鏡夜氏に同情的じゃねぇか?」
スカーレットも不思議そうに薄浅葱へ視線をやる。
「そうだな、ミスターハイバラは犯罪者だぞ。いつかやると思ってた」
薄浅葱はシニカルに言った。
「べーだ。僕は法の番人じゃなくて探偵だからね。それに頭が良い! 付和雷同なんてしないよ!」
薄浅葱の頭の上に乗っていた黒より黒い漆黒のスライム、烏羽が低音ボイスで笑う。
「くくっ、だそうだ」
黒いスライムが薄浅葱の頭の上で揺れている。目ん玉がどこにあるか不明な不定形生物なので、感知されると面倒なのだ。
「ところでー……我らがシスター。どーしてそこの窓の下、水たまりができてるのかな?」
(うへぇ)
心の中で彼は唸った。ここからの展開を予測できた鏡夜はうんざりとした気分になる。鏡夜は気持ちを落ち着けて話へ耳を傾ける。
有口はしれっと言い返した。
「見てわかるだろう? この教会にあるセキュリティ装置が誤作動して、窓が割れてる。んで、どの窓から雨水が入ってる――だろ?」
「それはおかしいよ。轟音がしてまだ数分だ。ここまで雨水が溜まるなんておかしいし、ほら」
薄浅葱は水たまりに近づいてそれを見下ろす。
「見ての通り、泥が混じってるよね、空から入り込んだ雨水にこんなぐっちょり泥が入り込むのはおかしいよねえ」
有口は溜め息を吐いた。薄浅葱はにっこりと愉快げに言う。
「僕に隠し事ができると思う?」
「はっ、隠し事してるように見えるけどな!」
「僕が、じゃなくて、僕へ、だよ。――ああ、今ちらっと天井を見たね」
薄浅葱の隣に立つスカーレットは不思議そうな顔をしながら薄浅葱と有口を見比べている。有口は呆れた表情をしていた。
「何で断らない私に要求しねぇんだよ。核心を突くだけで――お前は」
「僕は自分が賢いのだと実感したいだけの女だよ。愚直な愚か者のように、た
だ頼むことはしないのさ。真実は自分で見つけるものだと思わないかい?」
くっ、くっ、くっ、とシニカルに薄浅葱は頭の上のスライムへ向けて言った。
「叔父様――お願いがあるんだ。扉を閉じていてくれ。窓も閉じていてくれ」
「んむ、ま、よかろう」
烏羽は床に降り立つと、ぞわぁっと体積を増やして教会内部に広がった。床が染まる。壁も染まる。入口も窓もその漆黒の身体で閉じられる。密封された。
かぐやは壁際に立っていたはずだが、スライムに飲み込まれた様子はない。説教台の上か、参列者の椅子の上に登ったようだ。
「有口聖さん――賢い頼み事をしよう。どうぞ、裏に引っ込んで待っていてくれ。なぁに、すぐ済むさ」
「……けっ。行くぜリンちゃん」
「え、でも」
「ノーコメントだ。私は沈黙する」
「……はい」
今までずっと黙っていたリンはちらりと天井にいる鏡夜を見ると、有口の後ろについていく。有口が檀上裏の扉前まで来る烏羽がぞわっと、そこを包むをやめた。そしてただの扉から有口とリンが消える。
――――条件が整った。薄浅葱が言う。
「さ、て。はーいばら鏡夜くん。自首するなら今だよ」
鏡夜は天井から積極台の上へ降り立つ。同じように説教台に登っていたかぐやも姿を現した。それを見たスカーレットは大変驚いた。そして剣を取り出して薄浅葱を守るように構える。
鏡夜は虚勢を張った。
「付和雷同なんてしないんじゃありませんでしたっけ?」
「しないよ。ただ依頼があってね! 探偵に、怪人を捕まえてほしいって! ううん、いいねぇ、ご先祖様みたいだよ! これも賢さの実感の足しになる。塔の攻略の何十倍も何百倍もそれらしい!」
楽しげに愉快げに告げる薄浅葱は関係なければ、好きにしろと思えた。が、しかし当事者だ。こうして相対すると本当に嫌になる。
「犯人は君じゃない。しかし、君は怪人だ」
そんな言葉遊びで、この勇者は魔人が塔京壊滅の原因ではないと知っていながら立ち塞がるのだ。
「貴女は本当に勇者じゃありませんね」
「いつもなら同意するんだけど、今日は違う答えをしようか。――そうでもないさ。実感すると良い。僕という探偵勇者をね」
【EXTRA STAGE】 Detective Braver『Usuagagi』&TomboyScarlet『Soa』
「かぐやさん、死なない程度に焼いてください」
「あいあいさー!」
こういう時かぐやは便利だ。遠距離への協力かつ安定した攻撃手段を持つこの人形を拾ったのはまさしく鏡夜の幸運である。そういえば、かぐやを拾ったその切っ掛けは目の前の勇者ご一行だったか。
眩しい光と共に光が発射される。しかし、それは黒より黒い漆黒のスライム、烏羽によって防がれた。突然床からスライムが持ち上がりビームを防いだのだ。焼け焦げ、消し飛ぶはずの光線はスライムの肉体に吸い込まれるように阻まれてしまう。光を操る生体人形かぐやは超強力な戦闘能力の持ち主なのだが、ことごとく相手が悪かった。これで鏡夜が殺傷を是とする性格ならばもっと猛威を振るっていたが、詮無きIFの考えである。
かぐやがビームの照射をやめる。スライムの壁は薄浅葱たちと鏡夜たちを隔てていた。
鏡夜は説教台から降りると、両手の握りこぶしを握って、床に広がる烏羽の身体を殴りまくった。もちろん、スライムの柔らかな身体は物理的な衝撃を無効化する。しかし、ご存知の通り鏡夜の手袋は、それが生きていれば必殺になるほど強力な状態異常付与能力がある。叩くごとに増えていく状態異常。
それが二十を超えたあたりで、スライムはびちゃっと液体状になって床に広がった。
「はい、無力化しましたよ?」
「んぐ、んぐ、んぐ」
「……?」
勇者は懐から虹の刻印があるスキットルを取り出して、一気飲みをしていた。そして全てを飲み切って、ぷはーと、息を吐いた。
「切り札っていうのは秘めておくものなんだよ」
「――!? まずッ――!?」
超人的な感覚が警鐘を鳴らす。鏡夜は眼前に出せる限り全力の《鏡現》の盾をはった。
そして薄浅葱は口から業火を吐いた。
アリアの祝福属性攻撃、炎のエレメントとは段違いだ。本物のドラゴンの炎。
薄浅葱は炎を吐いた後、ガチンと口を閉じてコミカルに語る。
「使うタイミングを読むのが賢さの証さ。ちょっとでも躊躇えば僕が狩られてた。つまり最善! きっとね! ――さぁやろうか! 知恵比べ!」
鏡夜は《鏡現》の盾を回り込んで迫ってきたスカーレットの剣を蹴りで弾いた。《鏡現》を一枚消して、再び手の中にその容量を使って武器を作り出す。もちろん剣だ。
炎が強すぎる。盾は動かせない。この限定された空間で戦った方がいい。薄浅葱に移動されたら辛い。そこまで考えて鏡夜はかぐやへ指示を出した。
「薄浅葱さんをお願いします! 私はスカーレットさんを!」
鏡夜はスカーレットと剣を切り結ぶ。かぐやはタタタタンとステップを踏むと、率先して業火スレスレを走り出した。
「ふふーん、光の勇者に転職させてあげるわッ!」
「僕は光よりも智慧の方が好きだよ、がおー」
小さな少女のとぼけた吠えに合わせて業火が飛び出す滑稽さを横目に鏡夜はスカーレットを追い詰めていく。
強い、強いが――正直だ。剣の軌道上に剣を添えるだけで止められる。不動なまま振るわれる剣戟をいなしていく。
「遠い……」
「近いですよ」
鏡夜はスカーレットの腕を掴もうとした。すると、時間経過で状態異常から復活した烏羽が死角から鏡夜を攻撃する。
もちろんさんざんぱら状態異常を使い倒していた鏡夜は時間経過で回復することもあると、理解していた。烏羽の不意打ちを避けて、鏡夜はスカーレットと烏羽へ両手で触れた。
状態異常発症。しかも両者とも大当たりの“石化”。これで戦闘不能。動きを封じた。
「迂闊―――」
「――なのは君かもね」
鏡夜は顎下を蹴りあげられて中空に浮いた。脳が揺れて視界が揺れる。世界が平衡感覚を失う。
それでも無闇に強靭な五体は意識を保ち続ける。鏡夜はフラフラになりながらも両足で地面に降り立つ。
傾いている視界に映る薄浅葱は。
「空を飛ぶ―――!?」
薄浅葱はけらけらと言う。
「僕の系譜の仙人は、まぁ適切な分類をするなら天でねぇ。空を飛べるのさ」
視界の外からビームが薄浅葱に降り注ぐ。しかし小さな探偵勇者がそれをひらりと飛んでかわした。
「ごめんなさい、我が君! その勇者――光線が効かないわ! 身体が液状になる! 駄目な私に罰をあとでお願いします!」
「い、や、しましぇんですけど……?」
ぐらぐらする感覚が元に戻っていく。ダメージが回復し、鏡夜は頭を振って平常を取り戻した。
彼はポツリと言った。
「―――血ですか」
「おっと、覚えていたかな?」
「もちろんですよ」
“「驚くことかい? うん、そうだよ、灰原くん。彼も色彩一族だ。父様の弟、間違いなく叔父様だ。色彩一族はそこらへんゆるくてねぇ。例えば僕なんかだと、スライム、龍、仙人、シルキー、中国人、契国人、英国人が混じってるね。表に出てるのは英国人間とルーツの中国人間の二つだけだけどさ」”
かつて薄浅葱から聞いた彼女の血に混じった種族。龍、仙人、そして液状――スライム。三つの特徴を発揮さられれば嫌でもわかる。
「その通り、さっきの筒に入っていたのは色彩一族の切り札――血脈の記憶を呼び覚ます秘薬、というわけさ。レインボー」
そう言って薄浅葱は両手をスライムにして、両側に伸ばした。そのまま教会の壁に沿うように広がり、そこに龍の顎が浮かんで――四方八方から炎で吹き付けられた。
鏡夜は舌打ちをすると。かぐやに駆け寄り、六方向を外側に向けた《封鎖鏡》で防御する。
「おっといいのかなぁ? 持久戦に切り替えたのなら、僕はこのまま退却して応援を読んでくるけど?」
薄浅葱が一歩下がったのを見計らって鏡夜は、《封鎖鏡》を解除する――薄浅葱とは反対側の一枚を。そしてその容量を使って、鏡のナイフを生成する。ただし、出来る限り不格好に。鈍いナイフ。あえて刺さらないように分厚く生成した太いナイフを壁に向かって投げる。鏡夜の偽りのチート。呪詛の超人的感覚から導かれた跳弾ならぬ跳刃が壁に当たり、天井に当たり、薄浅葱を襲った。
「あっぶな!」
「見え見えの誘いですよ、探偵勇者さん」
「は、ははは。そうだね、僕の背後を狙おうと開いたのならばこんがりウェルダンだったさ。本当に君は戦闘知能だけは高いねぇ」
(こんなもの、能力のごり押しだよ)
鏡夜は即座に完全な《封鎖鏡》で防御を固める。真っ暗闇の内部にて、かぐやが指先に光を灯す。
「どうするの? 我が君? 私が突貫する?」
「いやぁ、破れかぶれが通用する方ではありませんよ。さすが勇者」
軽口を叩きながらかぐやと小声で情報のやり取りをする。話せる時間は短い。本当に薄浅葱が退却してしまう。ここで戦闘不能にしておきたい。
「そうですね、かぐやさん、ビームと炎をぶつければどうなります?」
「んー? そうですね、収束させれば出力は当然私の方が高いです。四方八方から来ても、まぁ潰せます。ただ身体がスライムになってるから無効化されますよ」
「問題ありません。私が突貫するので、炎を全部潰してください」
「え、危険じゃない?」
「今更です」
そう言って鏡夜は《封鎖鏡》を解除した。すると四方八方からスライムで形作られた龍の顎から炎が噴射される。その隙間を縫うように鏡夜は跳ねた。かぐやのビームの照射で炎が吹き飛んでいく。その道筋へ飛び込んで、跳ねて跳ねて。天井も壁も床も壇へも、スライムが張り付いていない極小の隙間を踏んで跳ねて、踏み場となる《鏡現》を作り出して、薄浅葱へ跳んだ。空中かつ目前で、鏡夜と薄浅葱の視線が交差する。接触する。そして薄浅葱の後ろへ着地した。
「私の勝ちです」
「僕の負けだよ、ラブリーマイディアー! シルキーは家事適性が最高でねぇ。実は僕、ステレオタイプな良い奥さんになれるんだよ。あはは、だからけっこ―――」←弱点:【落ち着きがない】【集中しすぎる】【やる気がない】【状態異常:魅了】
まくしたてるようにそこまで言って、薄浅葱から状態異常が消える。薄浅葱はしばらく口をパクパクさせると、ぶすっとした表情を浮かべた。
「……いじわるだな、君」
「聞かなかったことにしてあげましょーね!」
「僕は花も恥じらう女だからね」
薄浅葱が地面に着地する。身体もスライムからただの人間に戻る。龍の炎も口から消えた。
探偵勇者は両手を挙げて降参の意を示した。
【EXTRA STAGE】 Detective Braver『Usuagagi』&TomboyScarlet『Soa』
「うん、駄目だ。詰んじゃった。よし、僕は君に脅された。そういうことにしよう」
逡巡もなく薄浅葱は提案した。
「私は脅しなんて、一度もしたことがありませんが」
「それは嘘――ってわけでもないのか。無自覚な畏怖ってのも罪深いものだね。まぁともかくとしてだね。君を見逃す理由が欲しいのさ」
鏡夜は薄浅葱へ、言葉を続けるように無言で手を差し出す。
「ここでソアと叔父様と、そして僕の身命を賭してもう一度立ち上がるのも嫌だと言ってるんだ。それじゃあ――うん、そういう約束の元勝負をしたことにしよう。現実で戦い、勝てば逮捕、負ければ逃がす。鏡夜くんが鏡の世界を移動できるのは卑怯臭いってのはあるからね。同じ土台にあげるのに、交渉材料にしたと言えば賢さの補填にもなるだろう。負けたら世話ないんだけどね」
「言い訳臭いですねえ」
「もともと乗り気じゃなかったからね」
「貴女が乗り気だったことなんてありましたっけ?」
「あったようななかったような……まぁ、いくら日月の契国の王、柊釘真から直々に依頼されたとはいえ、これ以上の義理はないのさ」
またか。また釘真の名が出るのか。
「釘真さんはいったいなぜこんなことをしたのでしょうねぇ」
「予想はあるけど、口にするつもりはないよ。確証のないことは沈黙がいいって最近教訓を得たばかりだしね。ただ、ぼくはこうするのは最善だと思ったからそうしただけさ」
「これが最善ですか?」
床に横たわるスカーレット・ソアと床に液体のように広がる烏羽と、両手を挙げて降参し続ける薄浅葱を見て言う。
薄浅葱は両手を挙げたまま肩を竦めるという器用な真似をした。
「負けは屈辱だ。でも要は見方次第だよ。僕の目端は――まぁ実は君が思うよりも利く。例えば今ソアが意識を取り戻したことぐらいは観察してすぐわかるさ」
石化からようやっと回復したスカーレットは顔だけを上げてぼんやりと呟く。
「薄……浅、葱」
「ああ―――悪いね、ソア。僕は法の番人でも正義の味方でもなく、自分が賢いのだと実感したいだけの女なんだ。諧謔じゃなくてね……。いつも口に出してたんだけど――もっと早く言うべきだったよ」
薄浅葱ちらりと鏡夜へ視線を向けて告げた。
「さあ、行くがいい、勇者と魔王を、君は踏み越えた。役割理論はもう終わり、現実への挑戦をはじめよう! 僕もするからさ!」
薄浅葱はスカーレットを見ている。友情の為にスカーレットと話し合いをするのだろう。それを引き合いに出しているのだ。自分も不安感を抱いているくせに、自分を屈辱的とまで評して負かした相手を心配する。
「本当に貴女は、骨の髄まで、探偵勇者ですね」
鏡夜は床にべたーと広がった、未だに石化している漆黒のスライムの表面をなぞる。そのスライムの体表は、あまりにも漆塗りのテーブルのごとくで、鏡夜の姿を映していた。
「それでは、また今度――」
鏡夜は手招いたかぐやと共に、烏羽の身体を鏡と捉えて、そこから鏡の世界へ帰還した。
〈1000年1月8日 午後〉
ほとぼりが冷めた頃、鏡夜とかぐやは再び決着の塔攻略支援ドーム併設の教会に出没していた。
「つまりこれが、灯台下暗しという奴ですね!」
「んなわけあるか馬の骨が」
うんざりしたように有口聖が言った。
「つーかわかってんのかぁ? あの勇者がなぁ、私がテメェのこと庇っていたこと説明してたら私のキャリアが終わってたんだぞクソが。あの染矢っこにも説明云々、面倒くさかった! 灯台下暗しだぁ? 私が安全圏を用意してやってんだよ! 感謝、感激、五体投地しろや!」
「そこまではしませんけどね」
しれ、と鏡夜は有口の愚痴を聞き流した。さて、今度は教会の長椅子に座りながら新聞に目を通す。リンに渡されたものだった。本当ならネット環境が欲しいのだが、望郷教会の回帰趣味のせいかそんな機械類はこの教会にはなかった。
リンや有口のプライベートな機器を借りるのも遠慮したい。妥協点である。
塔京新聞は、その名の通り、塔京のことに関してだけはスピーディで正確であるらしい。
そしてそこにはもちろん、最新かつホットな情報、決着の塔についての速報も乗っていた。
薄浅葱が話していた通り新聞には、謎解きの第四階層【迷路】、そして一二匹の出題鼠、対して妨害するは〈Q‐z〉のロボット、クエスト『カットイン』である……と掲載されていた。。
いの一番に遭遇し、いの一番に排除するので、こうしてロボットやダンジョンを記録媒体で見るのはクエスト『カーテンコール』以来だった。
クエスト『カットイン』として新聞に掲載されている写真には、たくさんの猫が映っていた。
「猫?」
ただの猫のようなものが複数。三毛猫、黒猫、ペルシャ猫、その他猫。まるで、ただの生き物の猫のようだ。
だが取材協力者のミリア・メビウス氏いわく、抱っこして耳を傾けると機械音がするし、祝福と呪詛を司る望郷教会の代表として、これは絶対に生体ではない、と太鼓判を押すと書かれている。ちなみに猫を抱っこして、一番可愛く映る角度で撮影してもらいました、みたいな写真もついていた。ノリノリのアイドルかな?
お猫様ロボット、カットイン、Quest”cut in”。たしかにその英文が猫の首輪に彫り込まれていた。ただ白黒の写真にじーっと目を凝らすと、妙だった。
まるでuがaのようにも見えるぐらい崩れて刻印されていた。そう読むと―――cat in?
(猫ちゃんがインしましたよ、ってか。なんとも皮肉げだ)
絶対に鏡の魔人をチェスで言うチェックメイト一歩手前に追い込んだことに調子に乗っている。
ただこの人を舐めたお猫様ロボットは、今までとはまったく違う形で挑戦者たちを妨害していた。
まず戦わないのだ。大量に放たれた『カットイン』は謎解きに邁進している挑戦者たちを、完全な猫の動きで邪魔し、出題者の鼠を追い回す。
攻撃しても抵抗せず、周りの猫は傍観するだけ。妨害も続ける。しかも、撫でたり、遊んだりしてあげれば猫の好感度が上がり、妨害が目的のロボットにもかかわらず、たまにどいてくれることもある。こうやって仲良くなれば、いつか邪魔しなくなる、それからクリアすればいい――――と思わせることで挑戦者を妨害する。
傷つけないように無理やりどけることは悪手であり、周りの猫も含めて大量の猫が襲い掛かってくる。なまじ抵抗してうっかり一匹壊そうものなら、苦しんで死ぬ動きを見せられて心を病んでしまう―――戦線に復帰した魔王配下の四天王が、今度は心を壊されたことで戦闘不能になり、魔王もあの恐ろしい恐怖の大魔人に果敢に挑んで返り討ちになり、戦線を離脱。魔王チームはもはや壊滅、これは勇者と聖女の一騎打ちか……とかなんとか。
そこまで読んで鏡夜は塔京新聞を隣にいるかぐやに放り投げた。かぐやは新聞を受け取って、速読でそれを読み込んでいく。
鏡夜はかぐやの速読を横目に見ながら考える。心を狙い撃ちし、感情移入のみを目的とされたロボットか。……自分がそれに相対することになったらどうなっていただろうか。
やっぱり躊躇うだろう。ただ桃音も華澄もバレッタも横にいるかぐやも思い切りが良い代表みたいな女性だからまごまごしている内に全部ぶっ壊しそう。そしてまた舐められポイントみたいなものが上がる。この状況になるのは必然であり、時間の問題だったとも言える……。
そんなことを考えつつ、鏡夜の思考は現在の目下の目標――柊王への対面へ移っていく。
相も変わらずドーム内の鏡は完全に封印されている。水からの侵入面も大きさを縮小することで対策されたし、とにかく映るものは全て撤去された。烏羽の事例もあってか、身体がてかてかしている種族も全員ドーム内から排除されたらしい。加速度的に減っていくドームの中の“窓“を見れば、それくらいの情報は読み取れた。迅速なことだ。
どうやって柊釘真に会うべきか。日月の契国、その王。―――何故鏡夜を指名手配したのか。それもダンジョン内にいたタイミングで。そして仲間はなぜあの瞬間に裏切ったのか。そしてなぜ探偵に鏡夜の確保を依頼したのか。
会う方法がわからない。
外では雨が降っている。――しばらく降り続けるだろう。そうだ。雨が降っている間にケリをつける必要があるのか! と鏡夜は唐突に思い至る。
雨が降っている間は、外は鏡夜のフィールドである。言うなれば、行動全てにバフだかプラス補正だかついてるようなものだ。慣用句で言うならば追い風が吹いている。危うく幸運を見過ごすところだった。
「すいません、有口さん、このドームの構造とかご存知ですか?」
「あー? ……ちょっと待ってろ」
そう言うと有口は一枚の冊子を持ってきた。
「職員に配られてる裏側を含めたドームの地図だ。これでいいか?」
「ええ、大変すばらしい! ……あれ? でも地下の地図はありませんね」
「ねぇよ、柊王がいるんだ、機密だっつーの」
「それは残念――ですが、十分です。それと、聖女と、あと私の愉快な仲間たちの動向も知りたいのですが」
「えー、面倒くせぇ」
調べてきてくれと頼めばそれはもう罵詈雑言を吐きながら引き受けてくれるだろう。さて、どうしても知りたいことであるし、好感度を……すでにマイナスだろうが、さらに犠牲して頼もうか。そう口を開く前に。
「なら、私が調べてきてあげようか?」
キリン耳の少女、リンが言った。
「なら、お願いできます?」
「うん」
リンは頷くと、教会の外へ出て行った。
しばらくしてから、リンが戻ってくる。
「えっと、桃姐様と白百合さん、バレッタさんは今ドームにい不在だね……話によると絢爛の森にいるみたい。聖女さんは最上階のホールにいるんだって。これでいいの?」
「……え? ホントですか? いないんで? 仲間が誰も?」
「うん、染矢さんはそう言ってただけど‥…」
「それは……すごく、都合がいいですね」
聖女の位置もいい。柊王の執務室は地下にある。聖女が降りてくるまで時間的猶予がある以上、一階から速度重視で行けば例え聖女が敵に回っていたとしても、彼女が来る前には柊王のところまでたどり着けるはずだ。いや……今いる教会から侵入するのはまずいか。有口聖とリンが匿っていたことが辿り着かれてしまう。過去観測機械を持ち込まれれば一発でバレることだが、年のため対処をしておきたい。
とすると、侵入経路は……。
「天は我に味方した。とーいうわけでー、真正面から会いに行きましょう」
鏡夜とかぐやはドームの正面の水たまりから出現する。そしてまるで散歩でも行くような気軽さで、正面玄関を開けた。
白百合華澄とバレッタ・パストリシアと不語桃音は今日ドームには不在だ。いるのは桃音の家だ。――ああ、きっと過去観測をしているのだろう。灰原鏡夜の本質を丸裸にしている可能性がとても高い。絶望的だ。プロファイリングされる側というのは、こんなにも絶望的な気分になるのか。
それでも鏡夜は暴走と見紛うほどに駆け抜けるしかない。
鏡夜は集まってきた職員たちに歩きながら言った。
「お願いがあります。私の前に立たないでください。私の歩みを止めなさいでくださいませんか?」
カウンターへ足をかけ、そこに上がる。そして全員に告げる。
「頭を垂れる必要もなく、ただ見過ごすだけでいいのです。いつもやってることでしょう?」
鏡夜は一般人の気持ちをよく知っている。自分がそうだから。立ち向かうことは面倒だ。悪を許さないのは恐ろしい。自分には生活があり、平穏がある。それを害されることを考えるとどうしても二の足を踏んでしまう。
しかしここにいるのはそんな悪に寄った一般人ではなく、善に寄った国家公務員たちだった。
もちろん鏡夜の言に従うわけでもなく、二対多の大乱闘が始まった。
千切っては投げ、千切っては投げ。そのたびに良心が千切れる悪循環。そのせいか撃墜スコアはどう考えてもかぐやの方が上だった。
頭に叩き込んである有口提供の地図と、かつて釘真と応対した時通った通路を組み合わせて、鏡夜は快進撃を続ける。
途中からはもはや誰も襲い掛からなくなった。一階の職員は全滅である。そして地下通路をコツコツと歩み進んでいく。白い通路を歩く。
そしてひどく当たり前のように鏡夜は柊釘真の執務室の扉を開けた。そこには柊釘真と、あの、シャイな仮面の黒スーツがいた。鏡夜は釘真の机の前に立つ。
「―――やぁ」
「こんにちは」
「一つ質問があるのですが」
「なにかな?」
「なぜですか。なぜ、こんなことを」
「未来だよ」
柊釘真は冷静だった。冷静なまま、素面のまま。
「障害と歪みのない未来を」
言葉だけ見れば美しいものだった。釘真が望んでいるものはたしかに美しいものだった。
「だから私は契暦を終えた時に、全ての負債を清算するつもりだ。戦争、という形でね」
鏡夜はぴくっと片眉を動かした。釘真は告げる。
「絶滅戦争と言ってもいいかもしれない。全部だ。恨み辛みを全てぶつけ合ってもらう。こんな、こんな時代になってしまったのもすべて、なぁなぁになってしまったからだ。それは決着なんていう、ただのエネルギー体に対処は不可能だ。私はそう思っている」
妄言だった。しかし釘真が言うと一定の真実味があるように感じられるのも事実だった。
「〈Q‐z〉は?」
釘真はしかりと頷いた。
「ああ、確かに協力はしている。だが目的は違う。相反しているとも言っていい。そうだな……利用し合っているという表現が正しい。私は裏切って決着をさっさと使ってしまうつもりだし、彼はそれも受けて立つ気でいる。君を指名手配したのは、まぁ、展望の一致というものだ」
隠す素振りすらなかった。命乞いをする素振りもなかった。事実だけを話していた。鏡夜は超然とした態度に気圧されながらも、どうにか口を開く。
「ならば。私に決着を下さればよろしいじゃありませんか。そのまま私を素通りさせればよかった。いえ、そこまで説明してくれたんです。私も言わねば嘘でしょう」
鏡夜は自分の真の望みを口にした。
「私はただ、この全身に纏わり憑く呪詛の服を脱ぎたいだけなのです。それだけです。次の時代はそれで来る」
釘真はそれを聞いて、寂しそうな笑みをした。何か眩しいものを見るような目をしている。
「―――駄目だよ。これは私もエクスクルも同じ見解だ。それだけじゃない。私達は確信している。君は君自身が言うほど無責任でも身勝手でもない」
釘真は最初に鏡夜と出会った時と同じように、流れるような弁舌で語る。
「だから私は君を止めた。全てを解決する魔法のような方法など夢物語だ。しかし君は地獄のような戦争を食い止めるだろう。鬱屈にみちた未来だろうと、凄惨な時代を遠ざけるために。……証拠を示そう。一つ質問をしようか。君は――数十億の知的生命体を巻き込んだ、あらゆる全ての歴史的遺恨と種族的感情を全て吐き出して消えてしまうような“世界大戦”を許容できるのかい?」
「――――………」
鏡夜はしばらく沈黙した。鏡夜はこの異世界で、何度も何度もさんざっぱら自己を省みている。あらゆる面から見て。
「…………できませんね」
「そういうことだ。君と私は相容れない。決着についてどう思うか問うた時、わかりませんと答えた時点で君と私は決別している。力で決着をつけるべきだろう」
柊釘真は指を鳴らした。釘真の前に出てきたのは、あの男か女かもわからない白い仮面をつけた黒スーツ。翼の生えた傍仕えだった。
そして鏡夜は――目の前に迫ってくるその仮面の振るった拳に合わせるように《鏡現》を作り出して防ごうとした。
防げなかった。殴られた。
「――――!?」
鏡夜は後方へバックステップする。かぐやが叫ぶ。
「我が君! 顔が……!」
「顔?」
自分の顔を触る。完全に硬化している。指先には黒い欠片がついていた。顔が一気に焼かれて炭化したのだ。火傷なんてレベルを超えている。アリアと薄浅葱に続いて三度目の高熱だ。温度も攻撃力も上昇する一方だった。
「私は王だ。そして彼女は王を導く太陽の化身――生体人形、八咫烏」
白い仮面の翼の生えた黒スーツの生体人形――八咫烏の姿が揺らめく。あまりの熱気で空気が揺らめいているのだ。だが少し離れている鏡夜は熱さを感じず、八咫烏の後ろにいる釘真は汗一つ垂らしていない。ただ、八咫烏の身体だけが熱いのだ。そういう性質なのか。それともそれすらも操作できるのか。
釘真は足を組んで、憎たらしいほど優雅な態度で言った。
「私の導きを絶つというのなら勝ちたまえ。敗者となれば燃え尽きる。これはただそれだけの闘争だ」
鏡夜の後ろからかぐやがビームを放つ。しかしビームは八咫烏に辿り着くことなく霧散する。
あまりの熱気で空気が歪んでいるのだ。
八咫烏が歩き出すが……歪みで位置関係が非常につかみづらい。さっき攻撃を防御できなかったのも、この風景の歪みのせいだろう。
――蜃気楼だ。
超高温で空気を熱し、こちらとあちら。そして上下の大気の密度を変えている。そしてそれはそのまま光を屈折させる。
通常起こりえる海面で下方の空気が極端に冷やされる現象やアスファルト等で下方の空気が極端に熱せられる現象とレベルが違う。何百度、何千度の温度変化による光景の変化。
見えているものが夢幻のようだ。像が曲がっている。距離も場所も陽炎のように不確かだ。
しかも八咫烏自身が太陽にも似た超高熱源だ。触れただけで炭化する。鏡夜は自動回復ですーっと治った頬を撫でながら戦々恐々とする。
全身が炭化したら回復が追い付くかも不明だ。その恐怖ゆえに、攻め手もまた蜃気楼のごとく不確かだ。
鏡夜は紅瞳で弱点を見抜こうとするが見えているものが蜃気楼のせいか弱点が不明だった。こんなことなら横着せずに、クエスト『カーテンコール』説明会の時、じっくり見ておけばよかった。
鏡夜は後悔しつつも、《鏡現》のナイフを投げる。そのナイフは八咫烏に刺さったように見えて、カランと床に落ちた。
やっぱり駄目か。風景が歪んで――いや、待て、横にずれた? それはおかしい。
鏡夜は八咫烏に回り込むように移動する。すると熱い空気に突入する。息が苦しくなるが、環境適応能力のせいかすぐに楽になる。そのまま迫ってくる八咫烏から臆病なほど距離を取り、執務室をぐるぐると回ると――突然、極寒の空気に突入する。鏡夜の体表あたりに纏わりついていた空気が悲鳴を上げるように霜に変わる。
「貴女の能力は温度変化だ。流石の私でも、蜃気楼は温度差で生まれることは知っている。急激に熱して急激に冷やしてができて、はじめて縦横自由自在に景色は歪められる」
釘真はしかり、と頷く。
「流石だよ鏡夜くん。だがわかったところでどうするのかね? それとも私を攻撃するかな?」
「遠慮しますッ!」
ここで釘真を傷つけ――最悪殺してしまった場合、鏡夜は完全にこの世界で詰む。そしてそれはキー・エクスクルと釘真にとっても望むところなのだ。彼らにとって、突然飛来してきた異邦人――灰原鏡夜は、それほどまでに邪魔なのだ。
というか鏡夜は生体人形を知っている。彼らは仕様通りに動く絡繰りであり、最優先事項は常に主だ。距離が離れていても、彼女たちは主を最優先に行動する。つまり釘真の言葉は罠だ。
「我が君! 私調整できるわ! ええ、見てわかるもの! 補正しましょう! ――ただ演算全振りになるわ! 私が壊れても捨て置いて!」
「いや、ちょっと待っ―――!」
一気に視界がクリアになる。かぐやが光って、屈折の密室を正しい視界に補正しているのだ。有難い、有難いが、かぐやが壊れるのは勘弁してほしい。しかも、生体人形、八咫烏は容赦なくかぐやを狙うために駆けだした。
実質炎の中にいるのと同じ空間と実質氷の中にいるのと同じ空間を走り抜ける。どちらにいても生身の人間とだいたいの人外は即死する温度の地獄。
だが鏡夜は生きている。環境適応能力があるから。彼は溶岩の中だろうと宇宙の外だろうとどこに放り出されても適応できるのだ。
釘真は呆れたように言った。
「本当に都合が悪いね。君は。エクスクルが嫌がるのもわかる」
「私も都合悪いんですけどねぇ!?」
駄目だ。八咫烏が早すぎる。たった一部屋の中の出来事なのに、たった数メートルのこの距離があまりにも遠すぎる。
せめてもうちょっと近くで光景調整をしてほしかった。
だが、―――弱点は見えた。
「あ、お顔が見えてる」
彼は闘争を行っている現状とはひどく場違いな、すっとぼけた声を出した。だが効果は劇的だ。八咫烏は――咄嗟に顔を両手で隠した。
「………」←弱点:【故障:恥ずかしがり屋】【主に危機が訪れないと本気になれない】
鏡夜はその隙に前方に《鏡現》を作り出し――それを裏側から全力で殴りつけた。
吹き飛ぶ《鏡現》。しかし《鏡現》は割れてもほんの一瞬だけ残る。割れて、散ってから消えるのだ。つまりこのように殴り飛ばせば――。
八咫烏は全身を切り裂かれて血を噴き出して倒れた。
このように、鏡の破片が武器になる。そして彼女を切り裂いた《鏡現》の欠片は釘真へ届く寸前に、ふっ、と消える。
あの、ダンジョンの中で開発したこの技――《爆砕鏡》がなければどうしようもなかった。でも使いたくなかった。これは完全な殺人技だ。生体人形という事前情報を聞いていなかったら使いもしなかったし。そもそも生体人形だと知った上でも使ったことを現在進行形で後悔していた。
あまりにも……真に迫るほど、人体がズタズタだった。せめて、胸が上下していることが救いだった。どうにか、死なさず、壊さず済んだらしい。
鏡夜は釘真へ歩み寄る。それに対して契国の王は溜め息を吐いた。
「参った。……戦争に品も手段もありはしない。完敗だ」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
鏡夜は優雅に礼をする。
そしてかぐやに向かって一言。
「がかぐやさんは、お望みの通りお仕置きします、後で」
「はーい」
「まぁあまり怒らないでやってくれ。彼女たち……人形にとって、自己保存はそこまで優先事項でもないんだ」
「はぁ」
って何普通に会話してんだ、と鏡夜は内心で突っ込む。釘真は組んだ足を元に戻して言った。
「君の指名手配は取り下げよう――私は敗者だ。誇るといい。君は勝利者であり、見事―――」
その瞬間、決着の塔攻略支援ドームが天井から地下まで斜めに断ち切られた。
「はい?!」
そのまま鏡夜と釘真、そしてかぐやとボロボロの八咫烏はは瓦礫に飲み込まれた。
鏡夜は意識を取り戻す。瓦礫の中に埋まっていた。
「いったい、何が――、あのティターニアが何かしたんでしょうか?」
言ってから、違う、と思い直す。
「違いますね。だったら最初からやればいい」
どうにか首だけ動かして周囲を観察する。誰かが瓦礫に潰されて圧死していたら気が滅入るのだが―――ふむ。死者は不在だ。自分も含めて、釘真にも八咫烏にもかぐやも無傷だ。
気を失っているだけだ。いや違うな。これは――。
鏡夜は傍に気絶して自分と同じように瓦礫に埋まっている柊釘真を観察する。服の汚れを見る限り、おそらく瓦礫は都合よく避けたりなどせず、直撃している。にも拘わらず、彼の肉体は無傷だ。鏡夜へ手を伸ばしながら気絶している、さらに少し遠くにいる、同じように気絶しているかぐやの簡素な十二単もズタズタだった。八咫烏もなぜか無傷となっている。《爆砕鏡》でズタズタになったはずなのに、だ。対してスーツはボロボロだ。しかも鏡夜が行った攻撃以上に。
となると――一度地下へ殺到した瓦礫に潰されてたから回復された? それが一番妥当な推理だ。けれど、鏡夜は回復不能のはずだが……。
(ああ、そうか)
未覚醒で気絶し続ける程度に回復された他の者たちと違い、鏡夜の回復力は自前だ。だから覚醒するのが早かった。
おそらくこの推論が正解だろう。
少し、まずい展開だ。
鏡夜は身体を捻って上へ上へと登って行く。身体の表面に《鏡現》の鎧を作り出して防護するか、どうしても関節部分や胴体部分は動きが阻害されるので無防備になる。そしてその無防備な部分に瓦礫が引っ掛かり、身体が裂ける。裂けたうちに治っていく。針山地獄を登っているような気分だった。流石に単身で誰か、特にかぐやを助けられるようなアクションは不可能だし、そもそもじっとしているのは悪手だ。例えそうすれば身体がダメージを受けないとしても。
それでもどうにか、地上部分までたどり着き、血まみれになりがらも立ち上がる。
そしてしばらく立ちすくんで、自動回復するに任せる。……どうにか傷が全て治ってから、かつてステージホールがあった場所へと歩いていく。ドームが完全に粉砕されたせいか、決着の塔の真下から見上げることができるようになっていた。
先日、蝶の嵐によって破砕されたドームを修繕するために作業員が追加されたからか、あの日倒れていた人員よりも数が多い。ちなみにその大半をあらかじめ気絶させた下手人は鏡夜である。
ダメージ自動回復が思ったよりも性能が高くなければ気絶したままだったろう。そして、ドーム破砕罪も追加されていた。
弱り目に祟り目にならなくてよかったと言うべきか。
かつてあったステージホールはもはや残骸の山と化していた。シャンデリアも赤い座敷も、かつてのオーケストラピケットという穴にこんもりと積もっている。
塔の入り口付近には赤と白の二枚カーテンが引き割かれたものが落ちている。
というか――これ―――機械だ。
どういう仕組みかは不明だが、1cmほどの厚さにぎっちりと機械が詰め込まれている。それにその周辺には血が散っていた。触ってみるが、かなり新鮮な血液だ。べったりと手袋についた。呪われた手袋はすぐに血を消失させてしまう。
どうもここで塔の中に無理やり侵入しようとしてこのカーテンに襲われた誰かがいるらしい。
―――突入するか。
やはりというか、かなりまずい。〈Q‐z〉が本気になって塔の攻略に出たら、この身体と呪詛、そして一体の生体人形以外のあらゆる手札をはぎ取られた鏡夜では太刀打ちするのが難しい。しかも現在進行形でかぐやは置いてきてしまっている。猶予はない。
というか、〈Q‐z〉? 本当に? 彼が予感している誰かはむしろ――。
誰か、ひどく、悍ましい何かが――いる、塔の中へ。
第一階層、第二階層、第三階層を超えて、階段を上がり、第四階層【迷路】へ。
第四階層に始めて入った鏡夜はこの破滅的な光景に眩暈がした。可愛らしい多種多様なただの猫のようなロボットが一体残らず破壊されていた。
そして迷路も、完全に常軌を逸していた。通路やギミックは嵐が過ぎ去ったように破壊されていた。
あちこちに刻まれた槍傷を観察しつつ鏡夜は歩を進めていく。その傷を目印にして迷いそうな構造を迷わずにたどって行く。……歩いて、歩いて。そしてその視線の先には。
1と1は11である と書かれた看板と一匹のネズミがいる扉があった。そして、その前に一人、いや二人の女性が立っている。
青い修道服の女の背後に立つ、真っ黒なコートを着た巨大な女がその扉とネズミに向かって槍を振るっていた。ネズミは攻撃を避けているが、あまりにも巨大な女の槍が速い。致命傷は負わないまでも、ネズミの身体にどんどんと傷がついていく。
鏡夜はその青い修道服の女――聖女の名前を読んだ。
「―――ミリアさん?」
「―――あら、灰原さん」
ミリア・メビウスはお淑やかに振り返った。しかし、ミリアの後ろにいる巨大な黒い女はネズミに槍を振るい続けている。
「しばらくお待ちいただけますか? そろそろ壊れると思いますので」
「……いやぁ、それはちょっと、待てませんねぇ」
鏡夜はミリアの横に立つ。そして《鏡現》で二本の棒を用意した。鏡夜がその二本の棒を振るのを見て、ミリアは首を傾げる。それに合わせて、黒い巨大な女が槍を振るうのをやめた。
鏡夜はこの黒い女はなんだ? と感じながらもとぼけたように言う。
「ミリアちゃんふっふー……なんて冗談ですよ。これはケミカルライトではありません」
そして鏡夜はネズミに言った。
「ここに1本と1本の棒がありますよね。これを並べれば、ほら、同じ形でしょう?」
鏡夜は二本の棒を並べて11を形作る。傷だらけのネズミはチュー、と鳴くとボフンと消えた。
そして扉が開く。階段がある。どうやら一二の難問は乗り越えられてこの階層はクリアされたようだ。ここを通れば次の階層なのだろう。
笑顔を浮かべて一歩進もうとしたミリアの前に鏡夜は回り込む。そして彼はは両手に持った棒を持ったまま、両腕を広げて、通せんぼする。
「ここは通しません」
「灰原さん」
「ここから先は私のものです」
「灰原さん」
「世界は貴女に差し上げません―――私は貴女の敵です」
「灰原ァ!!!」
巨大な女が槍を振るう。その槍を鏡夜は両手に持った《鏡現》の棒二つで挟み込む形で防いだ。
「この階層のボスは―――どうも。私のようで」
啖呵は切ったものの、聖女、ミリア・メビウスの戦法や性質は不明だ。彼女が連れている巨大な黒い槍使いの女も初見だ。聖女がダンジョン攻略に連れて行く仲間たちの誰かなのだろうか。
世界征服を是とする聖女に従う望郷教会の誰か? 違和感だ。
槍が振るわれる。鏡夜はそれを《鏡現》の棒で防ぐ。その衝撃はかつて桃音の蹴りを受けた時と同一だ。もはや人類を超えた、トンレベルに匹敵するかのような豪快な槍である。
振るわれる、振るわれる。鏡夜はそれを、今度は《鏡現》ではなく、移動によって避ける。身体を捻り、踊るように、滑稽なマリオネットのような動きで槍を避けていく。
その動きの癖とついでに顔を確認しようとして――鏡夜は真顔になり、鋭い目つきを浮かべた。
「ミリアさん?」
黒い、巨大な女の顔は、ミリア・メビウスだった。しかし、その顔は、ミリアの癒しを感じさせるほほえみではなかった。豪放磊落な、獣のような笑み。
黒いミリアは後方にジャンプすると、聖女ミリア・メビウスの後ろに立つ。ミリアはまるで先ほどの激怒とは打って変わり、慈愛に満ちた佇まいだった。
獣と慈愛、二人のミリア。
「二面性が激しいんですね」
おそらく二人ともが真実ミリア・メビウスなのだろう。そういう祝福の持ち主なのだ。
鏡夜はその紅瞳でミリア・メビウスの弱点を見抜く。
「どちらも私ですよ」←弱点:【プライドが高い】【アイドル気取り】
「ええ、でしょうね。どちらも素敵ですよ」
我ながら歯が浮くような台詞だと彼は心の中で舌を出す。ただミリアは必ず反応するセリフだ。アイドル気取りなのだから。というか現状つけこめる弱点はこちらしかない。【プライドが高い】は……いや怖いわぁ。侮辱とかしたくない。怖い。弱点ではあるのだろうがタイミングは読むべきか。
とにかく弱点通り、ミリアは嬉しそうに返答した。
「ありがとうございます、灰原さん、それでもどいてくださらないんですか?」
「ええ」
「残念です。魔王と……ああ、変な女を倒してくださった上に、勇者も怪物どもも、あの柊王さえ釘付けにしてくださったので、私の味方かと思ってました」
なるほど、鏡夜がドームで大暴れしたのが原因か。好機と判断したミリア・メビウスが、なんらかの切り札を使い、決着の塔攻略支援ドームを完全に破壊。全てを出し抜いて塔の攻略をする……と。忍耐と暴力が融合している。
薄ら寒い。老龍とはまた違った緊張感が満ちている。猛虎と顔を付き合わせてる気分だ。彼は内心で叫びながらも軽妙に相手する。
「ええ、貴女のファンですよ。貴女を後目に、真の聖女だと主張するような一団は、どうしても放っておけなくて……」
「ふふ……」
「はは……」
「アナタが、私の怒りの、原因の、一部分を削ったぐらいで、手加減するとでも思ったんですか」
槍が鏡夜の脳天を叩き割ろうと大上段から振り下ろされた。
「舐めるなァァァァァ!!!!!」
「ぐっ……!?」
ミリアの大喝破で鼓膜が痛むほどの衝撃を受けて、鏡夜は一瞬固まる。その隙を逃さず、槍を持つ手を回転させた黒いミリア。
そしてその槍が鏡夜の腹に突き刺さった。
「ぎっ……!?」
「なんだ!! 何様だ!!!! あなたは、あなたたちは何様のつもりだ!!!!!」
あまりにも強烈な突きで、槍が貫通して背中から出る。
「私の邪魔をしていいと思っているのか!! 私の覇道を阻んでいいと誰が許可した!!」
鏡夜は絶望的な痛みを気合でねじ伏せて思いっきり後ろへ跳んだ。激痛の中、槍が腹から抜ける。
ミリアはその暴威とも呼ぶべき口上を続ける。
「私が女王だ! 私が、王だ!! 私が私が私が私が、私が――君臨する!!!」
そしてその、怒りにも似た喝破に正比例するように、黒いミリアの槍さばきや動きが段違いによくなっていく。
「私が勅命する!! 伏して従え!!!!」
鏡夜は近づこうとするが……。
「無駄だァッ!!!!!!!!!」
弾かれる。ナイフを投げるが弾かれる。鋏も弾かれ、斧も弾かれ、刀も弾かれる。《鏡現》は常識外れの切れ味を誇るのだが、技量が完全に凌駕されている。まともに刃が打ち合わない。横から叩かれてしまう。リーチの長さを活かされて《鏡現》の防御を正面から裏側を叩き、砕くという絶技すら見せられた。
鎧や防御にあまり《鏡現》は割り振れない。六枚のストックをほぼ攻撃に振る必要がある。さもないと出し抜かれて次の階層へ進まれる。
「私は死なない! 私は負けない!! それを私が許可しない!! だから私はここいる!! 超越する魔王? 堕ちた聖女? 鏡の魔人!? だから、なんだッ!!それが、なんだッ!! ああッ!? 自分が被害者で、負け犬で!! 復讐者だから絶対に復讐できると思ったのかァッ!! 勝って目にもの見せると確信していたのかァッ!!!!」
鏡夜のみならず、おそらく魔王にもアリアにも向けて言っている。そして鏡夜にもその主張は当てはまる。鏡夜は呪詛という運命への復讐者でもある――そしてそれは無価値だとミリア・メビウスは激怒する。
「なんだそれは!! そんなもので私を殺すつもりだったのかッ!! 私に立ち塞がるつもりだったのかッ!? そんな甘えた妄想で私の天下を、コケにしていいわけねぇだろぉがああああああ!!!」
完全に精神が肉体を凌駕していた。そして、鏡夜のあずかり知らぬところであれど、精神を攻防一体の術理とする、祝福の能力、理想の投影は究極へと至っていた。ただ、その豪傑を超えた神がかり的な敵手を見て鏡夜は思う。
(勝てる気しねえ)
あれはもはや、”当然”とか”常識では”とかそんな現実的な道理を超えている。
心で負けたらそのまま現実の道理すら突き抜けて負かされそうだった。
まだちょっと余裕があるのは、これが塔の中の出来事だからだ。外で遭遇していたら、この殺してやるという殺意の気迫と死への恐怖で動きが鈍り、たぶん三十秒前には死んでいたか逃げていた。
だがこの塔は優しいダンジョンだ。致命傷を負ったとしても、最低限回復されて塔から放り出されるだけ。
だからまだ頑張れる。鏡夜は踏ん張って、聖女、ミリア・メビウスと戦い続けた。
「私の敵でしょう? 貴方は」
「ええ、そして貴女のファンでもあります」
「複雑な関係気取りですこと」
「理想な関係かと」
そう言って鏡夜はついに黒いミリアの槍を《鏡現》の刀で断ち切った。ひゅんひゅんと槍は宙を舞い。そしてふっ、と消える。
鏡夜はもはや取り繕うのも限界なほど疲れていた。腕が上がらない。腹の傷はようやっと治ったが、それは見た目だけだ。対してミリアは――――。
「残念――でも、私は負けないッ! 決してッ!」
そう言って、黒いミリアは途中で断ち切られた槍を、ミリア本体の心臓に突き刺した。
……ダンジョンの仕組みに乗っ取り、ミリア・メビウスの姿が消える。
鏡夜はポカンとした表情でそれを見送った。
彼はもはや腕を持ち上げることすらできなかった。ダメージの自動回復も体力の回復には無力だ。つまり……ミリア・メビウスが少し様子を見るか、負けを認めるだけで。動くことすらままならない鏡夜の状態を理解し、鏡夜は負けていた。
まさに奇縁の勝利だった。そもそも鏡夜は勝ちを譲られたようなものだった。
だが、ミリア・メビウスを食い止めることにだけは成功したことを確認し、鏡夜はそのまま床にぶっ倒れた。
「もー、動けねぇ……」
しばらくして。鏡夜は疲労にあえぐ身体をどうにか動かして起き上がった。傷は全て自動回復で治っているが、どうにも身体が重い。
引きずるように第四階層から下へと降りていく。第二階層から出てくるモンスターへの処理すら億劫だった。
鏡夜は塔から外に出た。時刻は夕方。未だに雨が降っている。ざぁざぁ振りの雨だった。そして塔の入り口の傍には最低限の治療を施されたミリア・メビウスが横たわっていた。心臓を突き刺しての致命傷を治したからだろう。表面上はまるで無傷のようだった。
他に起き上がっている者は――誰も。いや。一人だけいた。
瓦礫の山を背景にして一人の少女が立っていた。豪奢で華麗なお嬢様。白百合華澄がそこにはいた。
傘も差さず、バレッタも連れず、お嬢様然とした少女が片手に拳銃をぶら下げながら感慨深そうに言った。
「邪魔者は―――ありませんわ。誰も来るな、とバレッタに手を回させましたの」
鏡夜はだるそうな姿勢をすぐにやめる。背筋を伸ばし、胸を張り、相手を、華澄を見据える。
「待たせましたか?」
「いいえ、全然」
華澄は拳銃を揺らす。銃口は地面を向いたままだ。
「ああ、なんでしょうね。ただ、わたくし、この場面、この瞬間のために動いていたような気がしますの」
「全て予定通りと?」
もしそうならば、最悪中の最悪である華澄が〈Q‐z〉の一味だったということに――。
華澄はしかし、首を振った。
「それこそまさかですわ。わたくしは、ただのアルガグラムのエージェント。銃の魔術師。白百合華澄。それ以外の異名などありませんの。だから、これはただの感慨ですわ。……結果なんてものは予測できませんの。そしてわたくしは勝つつもりですわ」
いつの間にか華澄のもう片方の腕には機関銃が握られていた。しかし、両腕の銃を揺らすばかりだ。むしろ、静かに優しく告げる。
「もちろん、逃げてもよろしいですわよ!! わたくしは約束通り絢爛の森の貴方の過去を観測していない。それを知った上で――逃げると言うのならば。ええ、ええ、許さないと言うつもりもありませんわ――」
鏡夜は内心はともかくとして、即座に、気取って返答した。
「――まさか。お誘いをお断りするつもりはありませんよ」
絢爛の森で素をボロボロこぼしている鏡夜を観測していない上に、今は雨だ。水たまりだ――。身体はボロボロだけども、それを加味しても、今この状況は有利だ。鏡があちこちにあるようなものなのだから。例えそれが誘導されたものだったとしても。現状は極めて有利だった。
「では」
「ええ」
「踊りましょう」
「喜んで」
華澄が拳銃と機関銃を鏡夜に向けて、そして勝負が始まった。
そして鏡夜は血まみれになった。
彼はもう後悔していた。助けてほしい。強い。強すぎる。有利な状況だ。老龍や聖女よりマシとか思っててすいませんでした。
鏡夜は機関銃の雨を避ける。これは避けられる。しかし。華澄が拳銃を見当違いのところに撃つと、鏡夜の右肘を銃弾が貫通した。
だらんと右腕が垂れる。
跳弾ってこんなことできるんだ。映画で見たいかなるガンマンよりも理不尽だった。どこの瓦礫に当たってどんな風に跳弾するかは、いかに超人的身体能力を持つ鏡夜でも予測不能だ。じっくりと銃口を見れば理解できる可能性があるが、機関銃がそれを阻む。
《鏡現》の防御はむしろ悪手だ。鏡夜の足が止まり、さらに華澄への視界が塞がれる。まったく別の方向から飛んでくる弾への対応ができなくなる。
鎧も同上。関節を積極的に撃ってきているし、そこも防御すれば動きが一気にマネキンみたいになって殺されないまでも、頭部を吹き飛ばされたり、上半身下半身で分断される。彼女はそこまですると確信している。
致命的な場所に弾が当たってしまう可能性が飛躍的に上昇する――。今まで実にファンタジックな相手ばかりを相手にしたが、ただの拳銃と機関銃で、ここまでボロボロされるとは。
本当にどういう世界観なんだと、この世界に来て一番最初に思ったことを思い返した。そして頬に銃弾がかすった。血流れて、そして、すぐに回復する。
彼は親指で血を拭った。じっとしているのは敗北を意味する。この足で、もっと、速く、もっと縦横無尽に。
鏡夜はそう決めて、走り出した。
とにかく瓦礫と水たまりを利用して身を隠しつつ移動する。ちらりと華澄に姿を見られてしまえば、撃たれる前に身を翻して一秒以内に再び身を隠す。
足音を途中で出来る限り消して、鏡の世界へ何度も出入りをして、それでもなおできる最速で走り――。よし、いまだ、と鏡夜は華澄の背後の水たまりから襲い掛かった。
罠と気づいたのは触れる寸前だった。鏡夜の紅瞳は弱点を見抜く。華澄は例外的に弱点が【なし】と表示される人間だ。しかし、今、鏡夜が掴んだ豪奢な金髪と茶色を基調としたブレザーを見ても、弱点が見えない。
鏡夜が掴んだものは、瓦礫に服を着せて、金髪を乗せた瓦礫だった。
(―――髪の毛? 豪奢な金髪、ウィッグ……まずっ)
そこまで考えて、鏡夜は隠れようとして、喉にナイフを刺しこまれた。ナイフが鏡夜の首元半分まで断ち切る。出血した血が口から吐き出され、胃の中にも大出血が溜まっていく。鏡夜はナイフを掴んだが華澄の手を摑まえることはできなかった。
第三階層での意趣返しのつもりか。あの時逆にナイフを押し込むことで動揺させた。今度はこちらから首を半ばまで斬ると――。
鏡夜は華澄の正体を見る。
黒いベリーショートに茶色の短パンを着て、黒いタイツに、腕の手首までぴっちりとした黒い袖のある服を着ている。薄手のタクティカルベストという矛盾した装備をした目の前の少女が―――しこたま鏡夜に機関銃を撃ち込んだ。
鏡夜はそのまま瓦礫に背を預ける形で座り込む。喉と身体から血が大出血する。どう考えてもただの人間ならば即死する重大な負傷だ。
しかし鏡夜は震える手で喉に刺さったナイフを抜き取ると、かはっ、と血を吐いて笑った。顔が上がらないので、伏し目で華澄を見上げる。
「―――ずっと変装していたんですか?」
華澄は鏡夜の額に今度こそ拳銃を突きつけた。
「奇を衒うための手札ですわ。ああ、別に偽りの姿というわけでもありませんわ。華々しさ! ――そしてこの実務一辺倒の姿。両方わたくしですわ。二兎を追って二兎とも得る。それがわたくしの浪漫の正体――わたくし、これでも強欲で傲慢なんですよ」
鏡夜の喉は切り裂かれ、身体には二十発以上銃弾が食い込んでいる。彼は瓦礫の山に寄り掛かって華澄をぼんやりと見ている。
自動回復は問題なく働いているが、ダメージが大きすぎた。血が足りない。今までの疲労も積み重なってしまって、今度こそ駄目かと思うほど絶体絶命だった。
―――雨はあがっていた。
(そういえば)
鏡夜は自分の身体の下を見る。血だまりが出来ていた。新鮮な血だ。大量の血だ。そこには鏡夜の姿が映っている。
(そういえば)
鏡夜は自分の額に突きつけられている拳銃へ意識を向ける。おそらく掴もうとするよりも彼女の銃を撃つ速度の方が速いだろう。
ただし殺す気であればだ。
(そういえば)
“お前は愛されている。それがお前の弱点だ”。確かにキー・エクスクルはそう言った。覚えている。白百合華澄が、灰原鏡夜を信頼してしまっていると、自分がそう考えていたことも覚えている。
(それならば)
鏡夜は片手をあげると、さよならを意味するように、左右に振った。
そして、血の池を鏡にして、鏡夜は鏡の世界に潜り込んだ。
華澄は――撃たなかった。そして、一歩だけ血の池に近づいた瞬間、鏡夜はそこから手を伸ばして彼女の足首を掴んで、鏡の世界に引きずり込んだ。
鏡の世界は鏡夜にとってのホームグラウンドだ。彼は空間を操り、華澄を思いつく限りの捕縛を行った。鎖でつなぎ、檻に閉じ込め、全身を縄で縛り上げ……正直犯罪チックというか、悪役のやるような行為などでやりたくなかった。しかし背に腹は代えられない。
さらに鏡夜は、ボロボロの肉体をぱっと見無傷になるように偽装した。華澄から見ればあっという間に回復して不敵に立っているように見えるだろう。
実際は未だに血が流れて、半分死体のような状態で立っているのだが。
「――私が勝ちましたね」
「それはどうでしょう?」
鏡夜のハッタリに華澄は動揺することなく彼を見つめている。
「なぜ、わたくしの身体を切り裂きませんの?」
鏡夜は無言で右手を振るった。華澄の肩から胸にかけて切り裂かれたような傷が出現し、血が飛び取る。
華澄は、眉を顰めつつも口元は吊りあがったままだ。
「やはり……。確信しましたの。ここは幻影のようなものですわね? 痛みが現実のものと違いますわ。ショッキングなだけですの。鈍痛が薄い。鏡の世界の痛みや回復は現実世界に持ち込めない。この理解に間違いは?」
鏡夜は眉尻を下げると、やれやれと言った様子で返答した。
「おそらく正しいでしょうね。試したことはありませんが。では、耐久勝負をすればよろしいのではないでしょうか。私は……ふふ、今まで内緒にしていましたが、ダメージが自動回復するんですよ」
「回復も持ち込めない、とわたくしたった今分析しましたわ」
鏡夜は額に手を当てて言う。
「……例え幻覚のようなものであっても、この世界は私の世界です。いわゆる、拷問、という手段も取りえるのですが?」
「どうぞ? お好きなように」
「……………」
(利くわけねぇだろ。そしてできるわけねぇだろ)
八方塞がりだった。ただ、少なくとも戦闘は回避できた。鏡夜は指を鳴らして闇の世界に一脚の椅子を作ると、そこに足を組んで座った。
「……そうですね。根本的なところからいきましょうか。どうして私に敵対したのですか?」
「理由はお話しましたわ。“「――その〈決着〉で叶える願い。わたくしに、最悪なほど、有害ですわ」”」
「呪いを解くことがですか?」
「灰原鏡夜をやめることがです」
「……」
「最初はよかったんですの。ええ。ただ、今頃になって、貴方という鏡の魔人が、貴方という奇妙なヒーローが。いなくなることが、どうしても許せないんですの。それでも、わたくしは契約しましたから、まぁそういうものだと飲み込んでいたのですが。……ええ、人形使いが捕まり、そして、貴方が追加した、私に極めて無害な〈決着〉をつけるという約定が破られるという条件が重なり……今しかないと」
「………」
とても、なんて言っていいかわからなかった。その鏡夜の内心に気づいたのか、華澄は困ったように言った。
「お願いがありますの。このままだとわたくしたちは勝ち負けを決められませんわ」
「……そうですね」
「バレッタに手鏡を持たせてますわ。そこに接続してくださいまし」
「……バレッタさんが鏡に向かって銃弾を撃ち込んでも私にはダメージは入りませんよ? 例え手榴弾でもです」
「ふふ、いまさらそんなことはしませんわ。ああ、でも、声は繋げてくださいまし」
「………」
鏡夜は指を鳴らす。すると、一枚の巨大な窓が鏡夜と華澄の横に作り出される。そして、そこに白い陶磁器のような生体人形、バレッタ・パストリシアが映し出された。
「あー、あー、見えてますか? 聞こえますか? バレッタさん」
「………。くすくす。見えておりますよ灰原様……。そして、ご無事ですか? 我が主」
声音は硬いものだった。言葉の調子も平常のものと比較して狂っている。どうも、自分の主である華澄の様子に動揺しているらしい。ずいぶん人間味に溢れる反応だ。
華澄はバレッタを安心させるように言う。
「大丈夫ですわ。見た目は重症ですけれど、実際は無傷ですのよ?」
「くすくす。それはよかったです。もしご無事でなければ、灰原様を抹消して、我が身も自壊させる必要があったので」
「おお、怖いですねぇ」
(いや、マジで)
彼は内心でビビりながらも超然とした態度を保つ。状況を支配しているのは鏡夜なのだが、展開にはまったくついていけなかった。
何かを致命的に勘違いしていることに、ようやく思い至り始めたからだ。
華澄がバレッタへ言う。
「……わたくしの、内心を謳いあげなさい、バレッタ」
「……くすくす、よろしいのでは?」
「ええ、止めませんわ」
大きな画面に映っているバレッタは静かに語り始めた。
「くすくす―――。白百合華澄は灰原鏡夜を見た時、言いようのない感覚を覚えました。見ているだけで、幸せなような。白百合華澄は灰原鏡夜と話した時言いようのない感覚を覚えました。思い出すだけで、満たされるような。それはうっすらと、ぼんやりと、なんとなく――意識することもなく、無意識のどこかで、感じるものでした」
鏡夜は唐突に全身がかゆくなって頭を降りまわしたく衝動を覚えた。しかし、バレッタ・パストリシアの語りは続く。
「白百合華澄は、強い人間です。その、”それ”に惑わせることもなく、ただベストコンディションで、ただただ精密な仕事ぶりで、彼と一緒に冒険をし、ミッションをこなしました。一緒に、過ごしました。笑い合いました。背中を預け合いました。そして、思い出という瑞々しい水を注がれて――”それ”は、花開いたのです」
「んぐ」
今までずっと黙っていた華澄が、らしくもなく唸った。
「んぐゅうううううううううううですっっっのッ……!!」
華澄は、悶えている。鎖、縄、檻。あらゆるもので捕縛された状態で、がちゃがちゃと拘束具をふりまわして暴れている。例え己の所有物であろうと―――。言葉にされるのは、恥ずかしい。
鏡夜も同じようなものだ。絶対に素面で聞いて平静ではいられない。
その二人の様子を見て、バレッタは一旦語りをやめて問いを発した。
「くすくす、やめますか?」
バレッタは叫んだ。
「いッ! いっ! えッッ! 続けなさいバレッタ!! 容赦なく!! これを放置するのは精神的コンディション及びわたくしたちの関係に、極めて著しいぃい! 悪影響ですわあああ……っ!」
華澄にありえざる動揺だった。ただの少女のように恥ずかしさという苦悶に震えている。そして次の瞬間、ただの少女ではない、鋭い、強い人間としての顔に変わった。
「だから――最後まで語りなさい」
バレッタは華澄の指示を聞いて、口を開いて、致命的な一言を発した。
「“それ”は少女ならば誰もが咲かせる恋の花―――。つまるところ、”淡い初恋”だったのですよ、灰原さん」
鏡夜は衝動的にバレッタとの接続を切って、さらに鏡の世界から自分と華澄をたたき出した。
先ほどの焼き直しのように鏡夜はボロボロの肉体を瓦礫の山に預けて座り込んでいる。
その横には白百合華澄が武器を出すこともなく座り込んでいた。
絶望的な痛みがぶり返す。気が少しまぎれるが、残念ながら逃避は続かなかった。隣に座っている華澄が呟いた。
「照れて、しまいますの」
いぜん鏡夜は血まみれだ。身体に銃弾はめり込んでいるし、そこから血は垂れているし、喉からは赤い液体が垂れている。
そんな相手に隣にいる華澄は言った。
「恥ずかしいですわ。だから、抱きしめてくださいまし、苦しいくらいに強く。わたくしのこの顔など見れないくらいに、強く」
耳が真っ赤なのがもう、語るに落ちていたが――それを言葉にするほどに、鏡夜は無粋ではなかった。
鏡夜はどうにか右腕を持ち上げると胸に顔を押し付ける華澄の肩を持った。彼女の服もまた血まみれになる。
彼は、負けを受け入れた。
「わかりました。……灰原鏡夜はやめません。鏡の魔人だってやめません。その上で、呪いだって、なんとかします。……解かなくても、“決着”はつけます……それ、で、勘弁してください」
「……はい、それで十分ですわ、鏡夜さん」
こんな死ぬ寸前で抱くような気持ちではないし、こんな致命傷だらけでするロマンスではないが。
これが灰原鏡夜と白百合華澄の浪漫だった。
血まみれのボロボロで壁に背を預けてる灰銀華美な男と同じく血まみれで寄り添って抱きしめられるミリタリーな少女は、しばらくしてどちらからともかく離れた。
鏡夜はいつのまにか、服も身体も完全に傷は回復していた。だがもういろいろな意味で限界だった。
しかし、華澄は言った。。
「あまり申し上げたくはないのですけれど――あの小屋で、待っているそうですわ」
行かなきゃダメ? という弱音を一秒間に十五回ほど言いそうになったが、彼はそれを意地で止めた。そのまま、飄々と応える。
「それは、急ぎませんと」
鏡夜は立ち上がると、背筋を伸ばして歩き出した。
「いってきます」
「いってらっしゃいませ」
鏡夜は傍にあった水たまりを鏡にして、そこに飛び込んだ。
そして、あの、鏡夜と桃音が出会った、あの小屋の傍の水たまりから彼は出現した。その小屋の扉には不語桃音がよりかかっていた。
ずっと待っていたらしい。
桃音は鏡夜に気づくと、静かな足取りで近づいてくる。鏡夜はもうフラフラな状態で、彼女が来るのに任せるように突っ立っていた。
正直な話、コンディションは最悪である。なまじっか服に汚れも破けもなく、身体も完全な健康を保っているせいで外側からはわかりづらいが、一秒後には気絶しても当然と言えるレベルで精神も体力も消耗していた。
だが文句は言わない。これはいわゆる無自覚自覚問わずの過労ではないからだ。自らの意思で選択した成り行き故に起きたことだ。文句を言うということは、八つ当たりであり、よくないものの擦り付けとほぼ同じだ。
最後の最後で、自分の負債を清算する詰めを誤るほど灰原鏡夜という男は馬鹿ではない。
あと一歩で鏡夜にかまされた地獄のような現状は終わり。あと一歩で、これに決着をつければ直近の問題は解決する。鏡夜は気合を入れて、桃音に飛び掛かった。
なんの会話もない。彼女と鏡夜にはなんの会話もない。なんの合図もないまま、桃音と彼の――戦いが始まった。
鏡夜は《鏡現》を一切使わず、その五体のみで桃音と闘う。
手の平で触って状態異常にして勝利という黄金パターンを成立させようとしても、あと一歩のところで弾かれる。
腕を伸ばせは肘の当たりを絡めとられて容赦なく関節を逆方向に捻られる。驚くほど軽い音がして骨が折れた。
本当にこの沈黙少女は容赦がない。
骨を折られてようやく理解するが、やっぱり鏡夜は桃音に勝てない。《鏡現》を封印しているならなおさらだ。
ならなんで封印しているんだって話だが、それには考えがあるのでいったんまずは置いておく。
置いた上で、勝ち筋を探す。
というかもうはっきり言うが、目の前のこの、なんの自己主張もない、。文学女性は動機も理由も根拠も行動も性格も考え方も展望も、そして目の前の男をどう思っているかもさっぱりだった。
そりゃそうだ。何かを伝えない人間が理解されるなど道理に反している。不語桃音もそれを理解しているだろう。
だが今回は動いた。動いて鏡夜に敵対している。
誰かに流された。誰かに誘導された。それもあるだろう。だがもっと根源的な、本質的な話をすれば。その切っ掛けは灰原鏡夜だ。
変えたのは灰原鏡夜だ。白百合華澄と同じように。あるいは鏡夜が出会った全ての人と同じように。一番最初に彼女を変えた。
不語桃音という存在は理解不能だ。しかして彼女は生きている人間であり、その足跡が必ず残る。力ある超人が起こしてきた出来事を洗い出せば、気づくことが一つある。
彼女は必ず相手の流儀に乗っ取る。灰原鏡夜がかつて手合わせを望んだ時、彼女はその五体のみで相対した。恐るべき鉄の塊クエスト『カーテンコール』を相手に、桃音は機動力で挑戦した。相手の分野を凌駕する。おそらくそれが沈黙する彼女の流儀なのだ。
そんな考えで、鏡夜はかつてのように五体のみで挑んだ。かつて勝った――という表現も不正確だが、少なくとも戦闘不能にした経験からだ。
鏡夜は外からただ眺めていた輩ではない。彼女の常軌を逸した多趣味さを知っている。頭ではなく心での理解だ。こいつは常軌を逸した多趣味であり――そしてそれ以上に、常軌を逸して多彩だ。
“なんでもありだと負ける。”
そうだ。だから鏡夜は五体のみで戦う。
捨て身で踏み込んで蹴りを入れようとしたが、その足を掴まれて、思いっきり降りまわせて地面に叩きつけられた。
しかし、鏡夜は沈黙を貫く。言うべき台詞は他にある。だから今は沈黙する。身体を捻って、桃音から掴まれた状態から離脱する。気合を入れて地面に両腕をついで跳ね上がるように起き上がって不敵に構える。
そしてちょいちょい、とかかってくるようにジェスチャーをした。
力に溺れるティーンエイジャー。自分なら当然勝てると、そう考えるのは格好良くない。そんな考え方をしていたら、きっとここまでたどり着けなかった。そしてここまでたどり着いたとしても、泣きわめいて話が終わっていた。
そうだ、そうだ。格好良さが彼女の弱点である以上―――格好つけて格好つけて格好つけて。
命を賭けて傾く。それが彼女の唯一の弱点だ。
(なんだ、やること変わらねぇじゃねぇか)
その証拠に、一瞬だけ桃音が揺れた。間違っていない。最初から今まできっと間違ってない。
なんだか実に馬鹿げた気分だ。
「こんなに誇らしい気分になったのは生まれて初めてです。貴女がこんなに私に敵対するのは、私が憎いからではなく、私を――好きだからなんですよね。ああ、誇らしい」
桃音の動きが鈍っていく。意地と虚勢を張っているわけではない。本心からの言葉だった。カッコつけるという男の業と自分の本心が一緒になって、勝手に口から台詞が紡がれていく。もしかしたら極度の連戦で、理性のタガが外れてしまったのかもしれない。
「私って、なんて素敵な人なんでしょう! そう思えるのも、皆さんの――貴女のおかげです! あなたほどの美しい人に好かれるなんて――!」
言葉がいらないわけがない。多くを語らないことは間違いなく美徳だが、まったく語らないことはなんにもならない。だから確実に言葉を発するべきだろう。言葉で解決するべきなのだろう。きっとこれはそんな簡単な話だった。そんな簡単なことを理解するために、こんなに戦い続ける必要があったのだ。
鏡夜はそこまで考えて――――桃音の両手を握りながら肩を竦めた。
「私は貴女に勝った。私は格好良いですか?」
桃音は状態異常にかかってぼーっとした表情で彼を見つめている。
ごちゃごちゃ考えたがわかりあえるとか通じ合うとか、桃音と自分には不適合だ。自分にできるのは勝手に解釈することと弱点につけこむことだけだ。
そして――不語桃音に花が咲いたと解釈できたのなら、やっぱり間違ってはいないのだろう。
積み重ねてきた負債の清算ができたと確信した鏡夜は、そのままぶっ倒れた。
(すっきり……した、ぜ……)
決着の塔最上階。中の全てのダンジョンを踏破することでしかたどり着けぬ最後の異相空間。
久竜晴水はラスボスであるはじまりの勇者と魔王の残骸を踏みつけながら空を見上げていた。
「―――世界だぞ」
おどろおどろしい声だった。
「世界全てに敵視されたんだぞ。なのに、こんなに速いのか。化け物め。魔人め。外道め。悪鬼め。怪物め」
久竜は空を見上げたまま険しい表情を浮かべている。
「あの忌々しい、灰原鏡夜め。――計画が前倒しも前倒しだ。これで容易く折れたら許さないからな。世界の命運があいつの心一つになってしまうのは望むところじゃない。せめて世界中の人間にダンジョンの挑戦権を発行するところまで待てよ。―――――この時代が短くなるだろうが!」
キー・エクスクルは溜め息を吐くと足元の二つの残骸を燃やし尽くした。
このダンジョン最終フロア――ネズミの謎解きの先にある最終試練。勇者と魔王の再現はあっという間に片付けられた。
というかそもそも、勇者と魔王は老龍よりも格段に弱かった。ここに辿り着けなければ――先んじて確保できていなければあの魔人に攻略されていただろう。
だがギリギリの駆け引きは俺の勝ちだ、と久竜はしかめっ面のまま考える。ここに一番最初に辿り着いたのは久竜晴水だ。〈決着〉を前にしたのも。
空を見て思う。この空間はもはや久竜晴水の心象そのものだ。
「この青空と星空と曇り空と雨空よりも、美しい理想など見たことがない。永遠に無限に、何度でも――もう一幕を。アンコールは叫べない。だから永久のカーテンコールを」
久竜は異相空間から出て、現実世界の決着の塔の頂上に立つ。そこには冗談みたいに巨大な大砲が設置されていた。
「世界に向けて求めよう。『カーテンコール』だッ!」
大砲が地上世界に砲身を向ける。そして、巨大な弾丸が――側面にQuest“curtain call”と刻まれた砲弾が撃ち込まれる。日月の契国の果てまで、地球の反対側まで届くように。塔京から作り出した大量の蝶、その半分を使って製造した〈Q‐z〉の奥の手だ。
決着の塔の頂上から世界中へクエストを――『カーテンコール』をぶっぱなす。まるで世界の終りのような、世界を続ける祈りの言霊。
遥か下にある絢爛の森を見下ろして、久竜晴水は宣告した。
「千年の最終幕だ。まったくこんなものが見たいと。観客風情が。―――舞台に上がれ愚か者。役者の違いというものを見せてやる」